2010年12月16日木曜日

中年とロックとハードニッポンガールズ

先日、Nada Surfというバンドを見に行ってきました。
メインの彼が友達のレストランの常連さんということで、誘っていただいたのである。
私はこれまでノーマークだったんだけど、検索したらけっこう有名なバンドではないですか。
なかなかに素敵なバンドだった。
ちょいとチージーに思える瞬間とかもまああるんだけど、ビートルズを思わせるノスタルジックな甘めのオルタナといった感じか。
でも、オアシスよりも真摯でピュアで不器用な感じ。
極寒の水曜日、11時にスタートするショーなのにソールドアウト。
しかも観客は私より年上(40歳代多かったような)に見える男性ばかり。
聞けばこのバンドは1992年からやっているという。
私がアメリカにくるさらに前である。
観客の盛り上がり方をみて、自分の思い出と楽曲をリンクさせているんだろうということが想像できる。
人間、ノスタルジーに訴えられると弱いのだ。
と、改めて確認。

前にも書いたことがあるけれど、自分のまわりのミュージシャンたちが年老いていくのを見ていて、ちょっと切ない気持ちになるときがある。
ほとんどの場合、ずっと貧乏だし、結婚したり、子供を持ったりすると、ライフスタイル的にも続けていくことのハードルがどんどん上がる。
だからこそ、こうやってやり続けてる人に頭がさがります。

そういえば、私のNYの女友達4人が、ちょうど2年くらい前にバンドをはじめた。
私と同世代の日本人女子たちである。
みんな、それぞれ仕事も生活もあるわけで、そんななか、バンドを始めたと思ったら、あっという間に驚く勢いで成長し、ブルックリンまわりで確実に人気を伸ばしている。
その名もHard Nips。
ハードニッポンガールズである。
友達だということもあるが、心からいいと思っているので、ライブがあるときは見に行くようにしている。
そしたら、ちょっと前にたまたまNYにいたCMディレクターのサノ☆ユタカさんが一緒に遊びにきてくれて、それがご縁となって、楽曲がCMに使われることになった。
そして、サノさんの手によって、CMができた!


サノさんとはそんなに長いお付き合いじゃないけれど、お会いしてすぐに大好きになった。
どんなに遅くても、遠くても、つきあってくれる。
そして貪欲に楽しみまくる。
このくらいの貪欲さがないと、おもしろいものには出会えないのだ。
そんなサノさんがNYにいらっしゃるたびに、ものすごいエネルギーをいただいている。
大好きな人たち同士が仕事で結びつくのを見ると、ものすごく幸せな気持ちになる。

そして、やり続けてきたNada Surfもいいけど、この年代で新しいことを始めちゃったHard Nipsからも、相当素敵だと思う(そして、両方とも、ナマで圧倒的な力を発揮するライブバンドだ)。
自分も引き続き「歳相応」という概念には反抗していこうと思います。

2010年12月8日水曜日

追記:石原都知事発言で思うこと

昨日のブログを書いてから、表現の自由について悶々と考えているのだが、そういえば、表現の自由を考えるのにとても良い映画があったのを思い出した。



原題はThe People vs. Larry Flynt。
ラリー・フリントは、今も雑誌ハスラーを運営しているし、同名のストリップバーを経営したりしているけれど、暗殺されそうになったこともあれば、表現の自由を争って最高裁まで行ったこともある。
まだ見てない人はぜひ見てください。

もうひとつ。
昨日のブログを書いたときは、怒りですっかり忘れていたのだが、ちょっと前に書いたTokyo Super Star Awardは、都庁で開催されたのでありました。
そして昨日ツイッターで学んだことには、TSSAは、石原都知事にラズベリー賞を授与したんだという。
これ、フェイスブックに登録してないと見られないんだけど、どうですか、このユーモアのセンス。
ぷんすか怒ってる自分が恥ずかしくなりました。
何かを変えようと思ったら怒るだけではダメなのであった。

2010年12月7日火曜日

石原都知事発言に思うこと

今日は久しぶりに朝からカッカしてしまった。
石原都知事の発言について読んだからである。
「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」ってやつね。
足りないのも、気の毒なのも、どっちだ。まったく。

せっかくの気持ち良い朝が台なし、とカッカしながら、無知を露呈してかっこわるいことになっているのは発言者本人だと思ってみたりしたんだけど、考えれば考えるほど看過できない。

なぜ看過できないかというと、今、「過激な性行為を描いたマンガやアニメの販売などを規制するための東京都の青少年健全条例の改正案」が議論されているから。
私は、マンガもあまり読まないし、この改正案が通ったところで、自分が受ける短期的な影響はかなり限定的だろう。
しかも、問題になっている「過激な性行為の描写」は、きっと相当過激なんだろうと想像する。
かつ、子供を持つ親御さんたちが、こういうことを危惧することも理解できる。
と、百歩譲って考えようとしてみた。

でも、何を規制すべきか、誰が決めるわけ?って問題がある。
いろいろ読んでみると、何を規制すべきか、という部分が曖昧だし、となると、かなり恣意的に規制することができてしまうことになる。
しかも、同性愛者をつかまえて、遺伝子がどうのとか、気の毒だとか、足りないとか言っちゃうような政治家が、規制の対象を決めるとしたらどうだろう?
表現の自由は、私にも、子供を持つおかあさんにも、病的なフェティズムをもった変態にも、同じように保証されてる。
「野放図」だって、テレビに気に入らない人が出てることだって、自分の趣味趣向にあわないものがあふれている現状だって、すべて自由だからだ。
でも、「自由」の内容をお上が決めるとしたら、それはもう自由じゃないのだ!!!
と、一人で興奮しちゃったけど、児童ポルノを擁護してるわけじゃないよ、念のため。

2010年11月29日月曜日

ニューヨークと写真



今日発売になったPaper Skyで「ニューヨークと写真」という特集に参加させていただいた。
がっつり30P強。
90年代にNYに住んだことのある写真家の若木信吾さんと、ニューヨークの写真と縁のある場所(ミュージアム、ブックショップ、ギャラリー、ワークショップ)を訪ねたり、写真家をインタビュー(ライアン・マックギンリー、ピーター・サザーランド、ジョエル・マイロウィッツなど)したりしました。

今回またいろんな人と写真について話をしたのだけれど、カメラという誰にでも手に撮れるメディアを使って、自分の世界を作り上げるという行為の奥深さについて改めて考えた。
これまでロバート・フランクとか、ポール・フスコとか、ティム・ヘザーリントンとか、たくさんの写真家をインタビューしてきて、どうしてもニューヨークと写真との関係を考えると、ロマンチックな幻想を抱きがちだけれど、ニューヨークに世界中から写真家が集まってくるのは、この街が商業の中心で、仕事がいっぱいあるからである。
仕事もいっぱいあるけれど、「ニューヨークで石を投げるとフォトグラファーにあたる」と言われるくらい写真家もたくさんいるわけで、写真というメディアでこの街でご飯を食べたり、新しいものを創作し続けることがいかに難しいか、ということについて改めて考えてしまった。
どんなに活躍しているフォトグラファーでも、その話になるとふうとため息をついたりする。

さて、私のなかでのひとつの目玉は、6年ぶりのライアン・マクギンリーのインタビューだった。
実は、インタビューする写真家のセレクションをしているときに、彼をリストに入れるのに自分のなかでかなり抵抗があった。
スーパースターだから。
そして、ニューヨークのアート界(とかファッション界)が彼をスターに担ぎだした文脈になんとなく抵抗感があったから。
でも決まってしまえば、6年前には「ものすごく才能がある子ども」という印象だった彼がどう成長しているか、急に好奇心が湧いてきた。
というわけで出かけていったわけである。
前回は住居だったスペースが、完全にオフィスになって、何人ものスタッフが忙しく働いている。
会ってみたライアンは、以前の100倍くらいのオーラを出していた。
そして、インタビューしてるんだけど、なんか映画を観ているような気分になった。
与えられた役を完璧にこなしている感じ。
原稿には書かなかったけど、若木さんがライアンについて、「アメリカは新世代のスターを必要としてたんだよね」と言っていた。
本当にそのとおりなんだろう。
担ぎだされた若者は、スターになっちゃったプレッシャーをうけながら、新しいものを作り続けている。
そう思ったら、なんか不憫になっちゃったりして。

最近あまりニューヨークの街中で写真を撮ることがほとんどない、というライアンに、この街との関係はどう変わった?と聞いたときの
I hate it when people say "New York used to be cool"
New York is what you make of it
という返事が印象的だった。

というわけで、手にとっていただけるととてもうれしい。
ちなみにブルータスも写真特集、コヨーテも写真の号が出るようですね。
まったくアングルが違うようなので、読者として楽しみにしています。

番外編:Tokyo Superstar Award

2年くらい前に、2週間と時間を区切って、20人強のアーティストにインタビューした原稿を、かなり長い期間寝かせてしまったのだが、今、まとめの作業をやっているところである。
アーティストたちに、生い立ちの話を聞いていて、いつも思うのは、「子どものとき、大変だったでしょう?」ということである。
変わり者が多いから。

そういうふうに思うのは、アーティストたちばっかりじゃない。
私の周りを見回して目に入って来る友達も、相当ツワモノの変わり者ばっかりだ。
だから音楽にしろ、アートにしろ、その他の職業にしろ、「自分の居場所を見つけてほんとによかったね」と思う。
ちなみに私も、小学校からずっと一緒だった同級生が、高校時代に「ゆみって、すごい変わってるよね」と言うので愕然とした思い出がある。
大人になって、自分と同じくらい、またはもっとおかしな人たちに出会ってほんとによかった。

で、そんな変わり者のお友達のひとりに、わりと最近仲良くなったゲイの男子がいる。
東京に住んでいるので、たまにしか会えないけれど、いつも会うと、目がきらきらしているなあと感心する。
その彼が、こんな素敵なイベントのために奔走している。
この間会ったときに、ブログに書いてね、と頼まれたのだけれど、うかうかしているうちに、このイベントはソールドアウトになっちゃったようで、どうやら私の応援はいらなかったらしいのだが、それでも応援したいので、書いちゃいました。

日本のゲイ・レズビアン問題についてはいろいろ思うことがあるけれど、それはまた今度の機会に。
というわけで、イベントの大成功を祈りつつ。

2010年11月23日火曜日

ビートルズのiTunesデビューについて考えてみた

iTunesがビートルズの楽曲を配信したことがニュースになっていましたね。
ビートルズ(とその権利継承者たち)は、アップルと長年もめていたわけですが、やっぱりビートルズでも時代の流れにはかなわないということか。
楽曲がバラ売りされるのは、とか、MP3はどうかとか、いろいろあると思うけど、もうしょうがないよね、時代の流れがそうなっちゃってるんだから。

そんなとき、ツイッター上でのこんなやりとりを目にした。
ビートルズを「知らない」と言った人がこてんぱんにされている。
そして、そのあとも感情的なやりとりが。
なぜ、ビートルズは、人をこうも感情的にするのだろうか?
アップルと長年もめていたビートルズがiTunesに配信を拒んできたことが、ビートルズを知らない人がいることと関係があるかどうかはわからないけれど、これだけいろんなことが細分化していくと、「誰もが知っている」存在が減っていくのはしょうがないことのような気がするんだけど。

それで思い出した。
数年前、日本の某大企業がNYで催したイベント後の打ち上げで、スーツ組のおえらいさんを紹介された。
名刺を交換したものの、明らかにお互いの共通項を見つけられずにもじもじしちゃったりして。
おじさま、私たちのこと、宇宙人でも見るような目付きで見てるし。
が、その後、このおじさまがスピーチをした。
初めてのNYで、セントラル・パークのストロベリーフィールドに行って感動した、という話で始まり、だから僕にとってはNYでイベントを成功させることがとても大切だったんです、というような話の流れだった(記憶、かなり曖昧)。
たったそれだけのことだけど、私にとっては軽くショッキングな出来事だったのである。
言っちゃ悪いが、この冴えないおっさんと私の間に、「一度人生のどこかでビートルズに感動したことがあった」という共通項が存在するという(当たり前といえば当たり前の)事実に愕然としたわけです。

でも、よく考えてみると、「メジャー」とはそういうことなわけです。
となりのおじさんも、イケイケおねえさんも、近所の子どもも知ってる、だからメジャーなのです。
マイケル・ジャクソンもビートルズも、ある程度音楽に興味がある人間なら必ず一度は通る道だった。
が、こういうことも変わりつつある。
マイケル・ジャクソンが死んだことで若い世代に再発見されたように、これからビートルズを再発見する人もいるだろうし、逆にビートルズと出会わずに一生を終える人がいてもしょうがないことのような。

話は変わるけれど、先日、USAISAMONSTERというもう解散しちゃった大好きなバンドの「リユニオン」ショーに行った。
なぜ括弧付きかというと、再結成ライブではなくて、「R.I.P」と名付けられた最後のアルバム発表にあわせて、元メンバーがそれぞれ今属するバンドが演奏する、というイベントだったから。
このバンドについては前にも書いたことがあるけれど、素晴らしいバンドなのに、いまひとつ戦略方面が苦手で、最後の1年はそこそこはじけたけれど、結局大当たりすることなく終わってしまったバンドである。
解散して2年経ってようやく最後のアルバムをリリースするってところもなんかうまくないし、でもそんな不器用なところも含めて好きだった。
と思ったのは私だけではなかったらしく、ミッドタウンの辺鄙なハコだったのにもかかわらず、大盛況であった。
そして、そのイベントを仕切ったのは、Todd PというブルックリンまわりのDIYシーンを取り仕切っているお人(この人についてはNPRに詳しい記事が出ています)。
これまでたくさんの才能を発掘してきたのに、いまだにこういう地味なイベントをやり続けている。

ちなみに、私が仕事では、いわゆるメジャーなものをサブジェクトにすることが多くなりがちだが、個人的に一番好きなのは、こういうマイナーなものだったりします。
もちろん当たり外れはあるけれど、スタジアムで大盛り上がりするよりも、100人くらいしか入れない場所が揺れるくらい大盛り上がりするほうが楽しいと思ってしまうし、辺鄙な場所ですごいバンドを見たときの大コーフン、さらにそのバンドが大きくなっちゃったりしたときのなんか得したような気持ちに勝るものはない。
すべて大いなる自己満足ですが、みんなが知らない、でも素晴らしいモノと、どういうわけか自分が出会えた、というところが満足なのです。
そして、こういうマイナーなシーンのなかから、メジャーなものがでてくるわけで、マイナーな人たちがここに存在しなかったら、メジャーなものも存在しないのだ、マイナー万歳、などと酔った頭で考えていたわけです。

と、ものすごく話がそれたけど、ビートルズ一件を見ていて一番気になったのは、「ビートルズが有名である」ということが、「知っているべき」の論拠になってたこと。
「こんなにいいものがあるんだよ」じゃなくて。
「ビートル知らないなんてヤバい」と大人に言われて、ビートルズと出会ったところで、別に大した出会いじゃないし、私がそれを言われたとしてもきっと反感を持つと思う。大人に。
マイナーだろうと、メジャーだろうと、自分で見つけて自分で出会わないと意味ないって思うんですが。

2010年11月17日水曜日

東京らぶ☆

怒涛のような東京滞在からニューヨークにもどってきました。

今回の滞在は、営業日にして5日。
そんなに短いと誰にも会えないよ、というようなことを言ったら、お友達の山本憲資くんが「NE-NE NIGHT」というなんとも贅沢なイベントを企画してくれました。
場所はルバロン。
そしてDJ陣は、
☆Taku Takahashi(m-flo)
Keiichiro Shibuya(ATAK)
Masatoshi Uemura(bonjour record)
Yasuyuki Takaki
Kilimanjaro(Shino&Erika)
と、大好きなお友達のみなさんである。
長い間会えなかった昔の友達や、知らない方もたくさんきてくれて、久しぶりに朝まで遊びました。
知らない同士が仲良くなっているのを横目に見ながら、私はさっさか酔っ払ってしまい、翌日になってから、ああもっとあの人と話せばよかったとか後悔しきり。
みなさん、本当にありがとう。

東京という街は、私にとっては育った場所ではあるけれど、親の引越しが多かったから「故郷」と呼べる場所がないし、仕事をする場所になってしまったことから、今まで帰国のときにも故郷に「帰る」という気持ちはあまりなかった。
特に社会人生活を送ったことがないので、近年、どこか他人の街という気持ちで見るようになってきたと思う。
たまにしか帰らないのに、「ちぇ、変わりやがって」みたいな気持ちになったりしてね、勝手なもんです。

が、最近、自分と東京の関係がちょっぴり変わってきたような気がします。
帰る直前に「i am going home next week」と誰かに行ったら、へ?どこのこと?っていう反応が返ってきた。
それでニューヨークに10年以上いて、最近はほとんど「帰る」というフレーズを使ってなかったことに気がついた。
東京に「帰る」という言葉が素直に出てくるようになったのは、自分と同世代の友達が、それぞれ与えられたフィールドで、何かを変えようとがんばっているからだということに気が付いた。
帰ると、がんばらないと、って思わせてくれる。
そして帰ると喜んで迎えて、このネットワークを使えれば何かできるんじゃないかと思わせてくれる。
うれしいことである。

ところで今回の旅は、今インディでやろうとしているiPadマガジンの打ち合わせのためでした。
iPadが普及してないのにiPadマガジンなんて、という声も聞こえてきそうだけれど、自分のなかでは、できるからやる、という理屈です。
印刷や流通のコストをかけずにメディアを作れるようになったから。
景気が悪いとか、おもしろいことができないとか、文句言うだけの人間にはなりたくないし、だったら自分でなんかやれよ、ってことで。

だったら自分でやれよ、って思わせてくれたのも、東京でがんばっているお友達のみなさんである。
そして、ここまでもいろんな友達が手弁当で協力してくれているし、今回の旅でも、いろんな人たちが協力するよといってくれた。
というわけで、そんなお友達に恥ずかしくないようなモノを作りたいと思います。
私のことだから、とても偏ったものにはなってしまいそうだけれど。

というわけで、このエントリーは、忙しいなか、時間を作ってくれたお友達のみなさんにお礼のつもりで書いてみた。
また東京で!

2010年11月1日月曜日

住処の話。

たぶん7〜8年前のことだったと思うけれど、そんなに親しくなかった大学の同級生がNYに引越してきた。
マンハッタンの家賃が高いとこぼす彼女に、当時クイーンズに住んでいた私は「クイーンズ高くないよ」と言ったら、返ってきた答えは「私、アジア人のこと、怖いのね」。
お前もアジア人だろうにと呆れたが、自分がアジア人だということを棚に上げる人はたまにいるので、黙っておいた。
それから何年か経って、私がフリーになって行ったり来たりするのがだんだん辛くなってマンハッタンに引っ越したとき、彼女はクイーンズに引っ越そうとしていた。
「私、マンハッタンに住める人が信じられない」
そのときは、なんてプライドが高いイヤな女だと思ったが、最近、思い出して、なんか許せるなって急に思った。
人生にはいろんなフェイズがあって、そのときにあった住処があるなと思うから。
そんなことをつらつら考えているのは、自分もまた久しぶりに引っ越しをすることを決めたからである。

東京もそうだろうと思うけれど、ニューヨークのようなキャピタリズムのど真ん中に住んでいると、「どこに住むか」ということは、人のエゴと密接に関わりがあるなとつくづく思う。
「家、どこ?」という質問に対する答えをジャッジする人が多いのだということを、クイーンズに引っ越したときにつくづく思った。
当時は、稼ぎも悪かったし、駆け出しだった。
家賃も安いし、安全だし、便利だし、ご飯は美味しいし、自分の身の丈にぴったりだと思って選んだのだが、「家どこ?」と聞かれ、「クイーンズ」と答えたときの、あ、ジャッジされてんな、と思う感じはよく覚えている。
労働者と移民が住むところってイメージが強かったから。
「ブルックリンじゃないの?」
という反応もたまにあった。
ブルックリンは同じように安いけれど、ちょっとイケてるカルチャーがある。
一方、クイーンズはイケテない、みたいなね。
私個人的には、あんな人情味のある場所に住んだことはあとにも先にもないと思うし、きわめて幸せだった。
未だに思い出して、ああよかったな、なんて思うこともある。
最近では、クイーンズに住む日本人もぐっと増えたし、ちょっぴり高級感のある住宅街なんかも増えて、そういうことは少なくなってきたかもしれない。

と、余談が長くなったけれど、再び今引越しの準備をしているわけである。
ここ何年か住んでいたマンションもまた良いところだった。
毎日朝起きて、仕事をして、深夜に帰ってきて、ほっと一息つくとき、私は家に守られているのだ、とずっと思ってきた。
いろんな人がしょっちゅうふらっと遊びにきてくれたし、なんども女子飲みの宴会場になって、大量なアルコールが消費されてきた。
最近、わんこお断りのビルが多いなか、犬フレンドリーなビルだったのもよかった。
出張がものすごく多かったので、空港に行きやすかったし、どこに行くのもわりと便利だった。
いろんな意味で、自分のそのときのフェイズにあった住処だったと思う。

ここしばらく、ビルに囲まれた家に帰る、というライフスタイルがちょっくら息苦しいと感じることが増えてきた。
そろそろもうちょっとゆっくり呼吸ができる場所に住みたいな、と思ったり、口に出すようになってからはや1年。
景気もあまりよくないし、今仲間とデジタルマガジンを準備中なので、金銭的なリスクを減らしたいという気持ちもある。
何のために働くか、ということを改めて考えなおす時期だなと感じている、ということもある。
「便利な都会のど真ん中でせかせかがんばる」というフェイズが自分のなかで終わりつつあるような。
そんなことを考えながら、心のなかで昔の友達に「ビッチだなんて思ってごめん」と謝ってみたりしています。

2010年10月11日月曜日

トム・ブラウンという人



もうちょっと前に書こうと思っていたエントリー。
9月末に発売になったターザンで、NYデザイナーのトム・ブラウンにランニングについてインタビューした。

メンズのファッションが好きな人なら知ってると思うけど、ニューヨークのメンズシーンを変えた人である。
初めて会ったのは、私もフリーになったばかりだった2003年、コレクションを発表する前だった。
それから毎シーズン2度ずつくらいのペースでインタビューしてきた。
多いときには週に2回なんてこともある。
ファッション以外のいろんな特集にも出てもらってきた。
あまりに私がしょっちゅう登場するので、本人に「会わなくても書けるくせに」とか言われるくらいである(もちろん冗談です)。

トムが登場してから、ニューヨークのメンズシーンは本当に大きく変わった。
「メンズの不毛地帯」から、イキのいいデザイナーが群雄割拠する活気ある都市に変貌した(今はピークを過ぎてしまったかもしれないけれど)。
NYコレクションにやってこなかった世界中の男性誌のエディターさんやスタイリストがやってくるようになったことを考えると、NY市に表彰されてもいいくらいだ。
そして、「NYのストレートの男性が身だしなみに気を使うようになった」理由が語られるとき、必ず名前の出てくる存在だってことを考えると、世の女性たちにも感謝されてもいいと思う。
そういう意味では、ファッションという枠を超えて爪あとを残した人なんだと思う。いまさらだけど。

ま、それはさておき。
トムは正直、口数が多いほうではないので、インタビューの相手として、決して簡単なタイプじゃない。
が、やっぱり会えば会うほど味が出る。
その「味」の部分が、ファッションの話だけだとなかなか出ないのが、原稿を書きながら、ずっと気になってきた。
そんなフラストレーションがちょっと解消されたかなと思います。
「走り」についての長いインタビューを通じて、トムの人となりがちょっと伝わったかなと思うから。

まだ伝えきれてない部分はもうひとつある。
トム・ブラウンのものすごく反抗的で、パンクな部分である。
いくらぴたぴたの過剰なシルエットとはいえ、「スーツなんか着ちゃってるから、誤解されるんだよね」と本人も言っていた。
でも、社会に対する反抗的な精神がなかったら、あんな時代(アメリカ人男子がドットコム・カジュアルで会社にいってた)に、あんなスーツのコレクションは発表できなかったと思う。
そのうち、トムのそんな一面を奥深くまで探る機会があるといいけれど。

2010年10月6日水曜日

心配してくれたみなさんへ。


先週、愛犬ウィスキーが事故で亡くなりました。

そもそもウィスキーがうちにもらわれてきたのは2002年。
こんなライフスタイルで犬を育てるのは無理!という私の反対を押し切って、当時のパートナーがもらってきてしまった子犬でした。
反対はしたものの、やってきてからは私も当然ウィスキーにめろめろになり、一人になってからもずっと育ててきました。

ウィスキーはものすごく手がかかる犬でした。
日本語では暴れん坊将軍、英語ではhandfulと形容されていました。
頭がいいので、クローゼットのドアを開けて中身を引きずりだしたり、冷蔵庫を開けることを覚えたり、机によじ登ってコンピュータをさわったり・・・
つくづくしつけに失敗した、と頭を抱えることもしばしばでした。
どんなに忙しくても、エネルギーのありあまったウィスキーを毎朝毎晩散歩させることが辛くなったこともたびたびありました。

ここ数年は、都会にばかりいてはいけないと、なるべくいろんなところに連れていきました。
都会しか知らなかったウィスキーは、初めは自然にとまどっていたけれど、だんだん慣れて、苦手だった泳ぎを克服し、リードなしで走りまわることを覚えました。
屋外のショーにもたくさんいって、たくさんの人にかわいがってもらいました。

今、お別れがあまりに急にやってきて、みんながウィスキーは幸せだったねと言ってくれるけれど、悔やまれることは多々あります。
そのなかでも一番大きいのは、さんざん人間の(私の)都合で振り回してきてしまったということ。
私がパートナーと別れたり、出張にでかけたり、引越したり・・・・そのたびにいろんなところに預けられたり、連れまわされたりしてきたわけです。
そういうことを思い出しては、悪かったとか至らなかったとか思っています。
しょうがないっていえばそうなんだけど、やっぱりペットって不憫だ・・・

たくさんの方にご心配いただき、びっくりするくらいの数の電話/メール/テキスト/ツイッターをいただきました。
こちらから言わないのに、締切りを伸ばしてくれた編集者もいました。
慰めるつもりで電話をくれたのに、私より泣いてた友達もいました。
昨日は、玄関にスマイルマークのついたケーキがおいてありました。
最初の何日かは、おくやみを言われては泣き、知らない犬を見ては泣き、店先の「犬お断り」のサインを見ては泣き、という感じでしたが、もう大丈夫です。

ウィスキーは友達の好意で、桜の木の下に埋めてもらいました。
ほんとに幸せな犬だったと思うよ。
と、なんだかものすごく犬バカなエントリーになっちゃったけど、心配してくれた人へのお礼の気持ちをこめて書きました。
ほんとにみなさん、ありがとう。


2010年9月14日火曜日

go nuts の時代?

先日、友達と話をしていたら、「ほらほら、ハードなロックバンドと一緒にパフォーマンスする☆☆☆って知ってるだろ?」
と言われた。
確かに名前は聞いたことがあるし、誰かの紹介で会ったこともある女の子。
でもパフォーマンスを見たことはない。
どういうパフォーマンス?って聞いたら、
「you know, she goes nuts」
という。
それじゃわかんないよ、って説明を求めたら、要は、ほとんど裸になって、嘔吐したり、マスターべションしたり、そういうようなパフォーマンスだという。
私が会ったご本人はいたってノーマルな感じの女子なので、ちょっと驚きつつ、そこで会話は終わった。

翌日、NYタイムズを読んでいたら、Ann Liv Youngというアーティストのパフォーマンスについてのレビューが出ていた。
こちらもまた、マスターベーションあり、排便あり、そんな感じのパフォーマンスらしい。
(レビュー自体は、「退屈」という厳しい評価だったけど)

そしてさらに先週、友達に誘われて行ったロフトパーティ。

あとで知ったには最近注目の新ギャラリーThe Holeの仕切りだったらしいのだが(このギャラリーについてはちょっと前に書いた)、SSIONNo Braのコラボレーションパフォーマンス。
iPhoneしか持ってなかったので、写真のクオリティが悪くてすみません。
10人くらいのキワモノ系パフォーマーが、音楽とともに絶叫したり、暴れたり、立ちション(しているようにみえた)したりする。
音楽も、パフォーマンスも、いまひとつ好みではないんだが、確実に目は離せない感じ。
オーディエンスもやっぱり夢中になって、かなり盛り上がってた。

こういうの、私の世界の外にはいつもあったのかもしれないが、共通項としてgo nuts的な要素をもつネタが重なって目に入ってきたので、なんだろう、これって考えてしまった。
そのgo nutsぶりがあまりに極めているので、見ていてすかっとするっていうのはあるのかも。

ここしばらくファッションウィークなんかもあって、東京からのお客さんが続いた。
そして、景気が悪いからもうちょっと元気がないのを想像していたけれど、この街は元気ですねえ、というようなコメントを複数の方から耳にした。
確かに元気はある。
でもフラストレーションはたまってる気がする。
だからgo nuts系のパフォーマンスに需要があるのかなと思うのは、安易すぎかな。

ちょっと系統は違うのだが、最近、友達が作ったビデオのアナログ感に相当夢中になっていて、そのビデオにも"freak out"というタグがついていた。
やっぱ、必要なんだと思う。たまには。
go nuts も、freak outも。

というわけで、そのビデオ。

Bongladesh - Bongladesh from S Shapouri on Vimeo.

2010年9月1日水曜日

私が参加したプチ・サマフェスのもよう

前回のブログに書いたサマフェスで、音楽やってる最中も続けられていたトーテムポール作りのもようをビデオに撮っていた人がいました。


©Alivia Zivich (of AA Records)

手作りフェス感、伝わるかな?

2010年8月26日木曜日

今年の my サマーフェス

先週の木曜日から月曜日まで休みを決め込んで、プチ休暇をとってきました。
今回の休暇先はミシガン。
ミシガンというと、きっとピンと来ない人も多いだろうと思う。
なぜミシガンだったかというと、友達主催のサマーフェスティバルが行われたから。

去年の初夏、友達のカップル(彼はミュージシャンで、彼女はデザイナー)が、彼のふるさとであるミシガンに引越していった。
NYで生活することの金銭的プレッシャーと作りたいもののバランス、彼らの世界観や家族を築きたいという気持ちを考えると、まあ予想されたことではあった のだけれど、私のまわりのコミュニティでは存在感の大きかった2人がニューヨークを去ったときはかなりさびしかった。
2人はそれから1年の間に、ミシガンのファームで、畑を耕したり、創作したりしながら、そしてしっかり赤ちゃんを作ったりしながら、新しい生活を送っていて、私も彼らの新居をたびたび訪ねるようになった。

そんな2人から、夏の頭にインビテーションがきた。
ファームでフェスティバルをやるという。
その名も「Big Life Freedom Farm Fest」である。
フェスティバルの内容としては、音楽、アート、ヨガ、トーテンポール作り、スイミングなんてことがいろいろ書き連ねてある。
私としては祭りと名のつくものは好きだし、とりあえず楽しそうなので、わりと早い段階で参加することを決めた。
そうはいっても場所はミシガン(NYからは車で10時間強)、わざわざどれだけの人がやってくるか、ちょっぴり懐疑的、同時に友達として不安に思ったりしていた。

先週末、同じくNYからわざわざミシガンのお祭りに行こうという奇特な友達何人かとともに、フェスティバルの前夜にファームに到着した。
何度か訪れたことあるファームに、食事用のテントや簡易シャワー、トイレ、ステージなどが設置されているうえに、トーテムポール用の木が横たわっていたりする。
それも全部手作り。














前夜にやってきたのは開催者を含めて10人弱。
そのまま夜中になっても誰もやってこないじゃん、なんて不安に思ったのも一瞬のこと。
朝起きたら、新しいテントが増えていて、そのままあれよあれよというまに、どんどん人がやってきた。
その日の夜、バンドが演奏する頃には、駐車場がいっぱいになるくらいの大盛況。
遠くからやってきた人も、近隣からやってきた人も。
そこそこ有名な人も、無名の人も。
そして子どもからお年寄りまで。
初めてのフェスティバル、大成功である。

そして4日間これ以上ないとうくらいリラックスした。
朝起きてヨガやって、のんびり朝食を食べて、考え事をしたり、散歩をしたり、泳ぎにいったり、大雨のなかで火をおこす方法を教えてもらったり、男子が薪割 りするのを眺めたり(これ、相当アガった)、もちろん夜には相当レベルの高いジャムセッションを前に、焚き火のまわりでお酒を飲んだり。

フェスティバルが始まったときに、主催者のトムが
Nobody paid to get in
と声高らかに宣言したのが印象的だった。
実際のところ、参加者はアルコールを持ち寄ったくらいで、お金は一銭も払わなかった。
食材は畑からとれた野菜と、近所のオーガニック食材を作る会社からの寄付でまかなわれた。
彼らは決してお金もちではない。
それでも食事に対しても、労力についても、人に対する愛についてもまったくケチるところがまったくない。
彼らのおかげで、generousityという言葉の意味を改めて考える機会を与えられたような気がする。














そういえば、2年くらい前、彼がやっていた前のバンドが解散するときに、インタビューしたのだが、そのときに彼がファームをクリエーターたちが集まって創作できるレジデンシーにしたい、という夢を語っていた。
楽しそうだけど夢みたいだな、と冷静に考えたのを覚えている。
でも今回、彼らのフェスティバルが実現するのを目の当たりにして、最初は夢でも現実にできたら立派なビジョンだっていうことに気がついた。
彼らのすごいところは、何かをやろうと思ったときに、それが現実にできるかどうかとか、どれだけ大変か、というようなことで逡巡したりしないことである。

というわけで、せっかく生まれてきたのだから、そして一度しか生きられないのだから、やりたいことは全部やろうとしようとつくづく思った今年の夏休み。
そのためにはそろそろライフスタイルの調整を考えるときかもしれません。

2010年8月18日水曜日

映画「Restrepo」を見て考えたもろもろ

ちょっと前に「Restrepo」という映画をみてきた。
(このときにもブログ書こうと思ったのだが、怠慢で書かないまま時間が過ぎていた)
この映画を撮ったのは、ティム・ヘザーリントンとセバスチャン・ユンガー という2人組。
アフガニスタンのなかでもものすごく危険といわれる地域にある基地に暮らす兵士たちを追ったドキュメンタリーである。



セバスチャン・ユンガーは、ちょっと有名なジャーナリストで映画の原作にもなった「パーフェクト・ストーム」を書いた人。
ティム・ヘザーリントンは、ヴァニティ・フェアと契約しているフォトグラファー(本人は写真も映像も撮るのでこのレーベルをあまり好んでいないらしいのだが)で、これまで多くの紛争地域や戦地で暮らしてきた人。
私は友人の紹介で何年か前に知り合い、一度、この映画の製作中にインタビューしたこともある(このインタビューは、わけあって、まだどこにも出てないのですが)。
インタビューをしたときに、彼が言ったことでものすごく印象に残った言葉があった。
「戦争は悪い。
戦争は悪いけど、そこには極限的な状況だからこそ生まれる愛があったりする。
僕はそういう瞬間をとらえたい」

そうやって、それからしばらく経ってこの映画ができた。
そして今年の春サンダンス映画祭で審査員大賞ドキュメンタリー部門をとった。
今やっているプロジェクトにティムを誘いたかったこともあって、映画を見た直後にティムに会いってきた。

会って雑談をしていたら、ティムがこんなことを言う。
「右側から叩かれるのは想像してたけど、リベラルからもけっこう叩かれたよ。
戦争を悪として描いていていないからけしからんってね」
映画を見れば一目瞭然なのだが、この映画はアフガニスタンをめぐる政治論争とはまったく別の視点から撮られている。
そこにあるのは人間ドラマで、もちろん戦争がからんでいるわけだから、モラル論を退けることはできないけれど、特定の考え方を主張するために撮られた映画ではない。
それでもやっぱり叩かれちゃうんだなー。
「極端なリベラル主義者は、超タカ派の保守派と同じくらいクレージーだってことに気がついたよ」
納得である。
おかしいのは、ラッシュ・リンボウやグレン・ベックだけではないのですよ。

話はちょっと変わるが、先日、男友達とビールを飲んでいるときに、最近 The Atlantic に掲載されたある記事が話題にのぼった。
タイトルは「The Point of No Return」。
イランと核兵器とイスラエルとオバマ政権の話。
今、これを読むと、急にいろんな恐ろしい心配事が急に現実味を帯びてきて、ものすごく暗い気持ちになります。
ビールを飲みながら、いろいろと悪い事態のシナリオを話したりしていたときに、私が「そんなことになったら、もうすでいがっかりつくづくがっかりすると思う」
と言った。
そしたら男友達が、ちょっと意地悪な目をして、「そう?もうがっかりしてる?」と聞くでは「to some extent (ある程度は)」と答えると「何に?」というので
「医療改革とアフガニスタン」と答えたわけです。

ちなみにこの男友達は、圧倒的に白人の多い共和党支持基盤に育ち、しかも、自分の家族もそっちの方向だが、どういうわけか自分だけはそこに染まらず、パンクとチョムスキーから政治を学んで、実はアナーキストです、みたいなタイプである。

そしたら彼が言うではないですか。
「リベラルはさ、選挙のときにはグラスルーツで戸別訪問とかしてたけど、医療改革のためにもアフガニスタンのためにもほとんど動いてないよね〜。それじゃなんにも変わらないよね」

おっしゃるとおり。
選挙のときにあれだけ盛り上がったのに、ロックスターだった大統領がすっかり孤立したように見える今日この頃。
人間って勝手である。

「オレは、けっこうがんばってると思うけど、オバマ。最高裁の判事のメンツを見ろよ」
と友達。

もしかしたら、一番ダメなのは、選挙が終わったと同時に元の生活に戻っていった中途半端なオバマサポーターだったりして。
いや、きっとそうなんだろう。
って考えると、何かを動かしてるのは、ほんと一握りの、クレージーとすれすれの情熱のある人たちで、たとえば私なんかはその基地が今年の春に閉鎖されたことも「Restrepo」をみて初めて知ったくらいのダメっぷりである。
こういう人間が大多数だから、政治があるべき方向に進んでいかないんじゃないか!
というあまりに当たり前な事実に思い当ちゃった。
人任せにしても、何も動かない、ってことをもうちょっと考えないといけない気がしてきた。
これってきっと、ユニバーサルな政治が抱える問題なんではないでしょうか。

2010年8月15日日曜日

ガバナーズ・アイランドと夏の無料イベント

サマソニやら、フジロックやらみなさん盛り上がったようですね。
ニューヨークも、すっかりもう秋のような気候ではあるが、夏のイベントてんこもりです。
昨日の夜はガバナーズアイランドというマンハッタン沖の島で夏中やっている「ザ・ビーチ」というイベントに行ってきた。

この島は、歴史的にはいろんな用途に使われていたらしいのだが、90年代に沿岸警備隊が基地を閉鎖して以来、放置されていて、近年になってイベントスペースに使おうという気運が盛り上がり、03年くらいから夏になるといろんなイベントが行われている。

今年の夏はMIA が出てすでにけっこう話題になったし、ちょっと知ってるネオカントリーの若手(ジョニー・コーンドッグというかわいこちゃん)が前座で出たときに、行こうかなと思ったのだが、フェリーに乗らないといけないし、荷物検査とかもあるだろうし、長丁場になりそうだし、人ごみは嫌いだし、とずるずる行かないですませていた。
が、昨日はPrefuse 73本人が誘ってくれたので張り切って出かけることに。
というわけで、島に初上陸。

とはいっても、事前にフェリーの時間を調べたり、けっこうな大仕事だったりする。
サイトをみると、
We encourage everyone to come early and enjoy the beach.
と書いてある。
ふーん、ビーチなんだー。
と思って行ってみたら、島はこんな感じ。
人口の砂浜にネオンの椰子の木。
無理やり「ビーチ」って呼ばなくてもいいと思うんだが・・・

現場についてビールを買ったりしつつ、トイレに行ったりしていたら、Prefuse 73に遭遇した。
それから1時間近く、個人漫談みたいなおしゃべりで私たちをめっちゃ楽しませてくれた。

そして昨日のラインアップは、頭から
Miniature Tigers
Nite Jewel
DOM
Prefuse 73
Neon Indian

バンドはそれぞれカラーがあるのでひとくくりにするのは申し訳ないけれど、最初のほうのバンドをあえてひとくくりにすれば、最近流行ってるちょっとニューエイジの子どもみたいなオシャレな音楽って感じ。
すっごい盛り上がるでもなく、淡々とすすんでいくんだけど、最近の若者たちは体を揺らしつつゆるーく楽しむ、みたいな感じである。
プレヒュース本人が「(このラインアップに)ものすごく合わないと思うんだけど」とつぶやいている。
しかも、MIAのときにはかなり多数のお客さんが彼女のパフォーマンスの前に帰ってしまったという話があって、「無料のショーって、みんな帰っちゃんだよね」とか言っている。

しかし、昨晩はプレヒュースが登場する頃にはお客さんたちは帰っちゃうどころか、かなり大変なことになっていて、相当盛り上がってるのはいいけれど、何をとったか、もうすっかりあっちの世界に行ってしまい、しゃがみこんでる若者がかなり多いのは、地方のフェスと一緒である。
こういう場所の荷物検査ってほんと意味ないんですよね。

というわけで、楽しかった。
でもやっぱり大きいハコ(この場合は違うか)は苦手である。
人が多いし、閉じ込められている感があるし、好きなときに帰れないし。
フジロックやサマソニで盛り上がっているみなさんをいつもうらめしく思っていたのだが、行ったら行ったで苦手なのかもしれない。

それはさておき、昨日のイベントはチケットは無料(定員になった時点で締切り)。
フェリーも無料。
食べ物や飲み物は持ち込めないし、ちょっと高い(水が3ドル、ビール7ドル)けど、5時間くらいいて、20ドルも使わなかった。
スポンサーはコンバース。
こういうイベントが、同時多発的にいろんなところで行われているのです。
ニューヨークの醍醐味はこういうことなんだ、ってことを思い出してみた。

昨日遊びすぎたせいで、今日はやめてしまったセントラル・パークのパブリック・エネミー。
やめた理由は、こちらも無料なせいで早い時間から並ばないといけないと言われたからなのだが、よくよく考えるとものすごく贅沢である。
お金で買えない贅沢。
「並ぶ時間ないし」と言ってる自分が、ちょっぴり貧しく思えるから不思議である。

2010年7月19日月曜日

Viral Marketing の実例:怖いのと楽しいのと。

先日、ツイッターを使いはじめて、すっかりブログ更新の頻度が落ちていることをお友達に指摘されました。
そもそも、ブログは、雑誌には書く場所がないようなことを書きたくて始めたものなのだが、ツイッターをやっていると、そのフラストレーションがある程度は解消されるし、どうしても微視/ミクロにとらわれて、巨視を忘れがち。
というわけで、今日は、何か書きたいことなかったっけ、と考えてみました。

最近、考えていたのは、Viral Marketing (英辞郎には「口コミによる商品の市場浸透・拡大を狙うマーケティング手法」と書いてある)の威力について。
ここしばらく、ツイッターってどうなの?と聞かれると、特にデザイナーとかアーティストとかミュージシャンの友達には、やったほうがいいよ、とすすめてきた。
ツイッターが絶対というわけではもちろんないけれど、やらないよりはやったほうがいいし、うまくやれば、それなりの自分マーケティングになるから。
が、勧めたはいいけれど、Viralという現象を引き起こすにはそれなりの何かが必要なわけで、それを引き起こすにはどうすればいいか?という疑問にはまったく答えられないのです。

なんてことを考えていたら、今、11歳の女の子の「イジメ」問題がネットで話題になっている。
そもそもの発端は、彼女が自分で作ったビデオが発端。
かわいいんだけど、まあ口は悪いし、生意気だし、確かに見る人によっちゃ腹が立つかもしれない。
それで、ネット上でのいろいろな嫌がらせがはじまり、それに対して、彼女が泣いてるうしろで、お父さんが怒り狂うビデオがYouTubeに登場したりして、その様子は明らかに真剣なんだけど、ちょっぴりコミカルに見えなくもないので、170万ヒット(この数字はGawker.comから)をたたき出した(このビデオはもう削除されてます)。
しかしここからは笑えない。
どういうわけか、この家族の電話番号やら住所やらがネットに流出し、警察を巻き込んでの大騒ぎに発展している。
恐るべし、Viralの威力。

で、Gawker.comによると、この情報流出の舞台になったアウトレットのひとつが4chan.orgというサイト。
私も初めて知ったのだけれど、2ちゃんねると名前が似てるのが気になる、と思ったら、日本語の説明がついているではないですか。
そして、11歳の女の子の事件をレポートしていたGawkerの記者のパーソナルインフォーメーションを暴露しているという。
Gawker の記事によると。
なんか恐ろしいな。これ。
こういうことが自分に起きたらって思うとぞっとする。

しかし、今日はいい話も発見した。
友達が見せてくれたビデオ。


明らかにキメキメって感じの男性が、二重に現れた虹を見て、感動している。
今日はこのビデオで大爆笑させていただいた。
これ、今みると560万ヒット以上たたき出して、しかも、この彼の声をサンプルしたバンドまで登場した。


これ、iTunesでも大ヒットしちゃって、一説によると(あくまでも噂ですが)、1日にうん百万という大金をたたき出して、もとのビデオを撮った彼とバンドで山分けしているらしい。
うーん、いい話だ。
今日は、この話でちょっと楽しい気持ちを味わったのでありました。

2010年7月8日木曜日

カリム・ラシッドが考える「デザインとアートの違い」

今月(っていっても6月だけど)も無事に校了しました。
今月楽しかったのは、ポール・セヴィニー(クロエの兄)のインタビュー(GQに出ます)や、カリム・ラシッドのお宅訪問(こちらはヴォーグに)。

カリム・ラシッドには、たまにインタビューなどでお会いする機会があるのですが、この人と会うのは本当に楽しい。
カリムのことは、ピンクのシャツ着てて、ピンクの商品ばかり作る派手なお人、もっというとちょっとキワモノ、と思っている人も多いと思うのだが、話をすると、すごく哲学的なお人であります。
今回はお宅訪問ということで、お家の話をひとしきりしたあと、雑談になった。

「最近、アートとデザインの境界が曖昧になってるってよく言うけど、僕はあの考え方は苦手なんだよね」
とおっしゃる。
「僕は自分のこと、デザイナーだと思っているけど、アーティストだって思ったことはないんだ。
デザインは、アジェンダがあって、依頼があって初めて成立する。依頼してくれる人がいなかったら僕は成立しない。アートに制約はないでしょう?
依頼があって成立するものと、自由に創作するものを、『境界線が曖昧』っておかしいよね?どっちがいいとか悪いとかじゃないんだけど、やってる側が、そこを見誤るのはどうかと思う」
って。
なんか、こういう意見、新鮮。
アートとデザイン、ファッションとアート、みたいなクロスオーバーがはやって久しいけれど、どれだけ境界線が曖昧になっても、スタート地点の違いはわかっておいたほうがいい気がします。

ちなみにカリムは、制約と依頼がある中でモノを作るのが好きなんだそうな。
カリムのワーカホリックぶりはちょっと知られたものであるが、今までデザインしたモノは3000個以上。
高い家具やインテリア小物も多いけれど、よくドラッグストアに売ってるMethodという洗剤のシリーズや、掃除機なんかもデザインしている。
「年をとってきたせいかもしれないけど、賞をもらったような商品より、スーパーに並んでいるようなモノに思い入れを感じるようになってきた。ものすごい田舎の普通の家庭で使われてると思うのが一番うれしい」
と言っていた。

そして、もうひとつカリムがストイックなところ。
それは「なるべく消費しない」ライフスタイルの実践なのだが、こちらは原稿に書いちゃったので、詳しくは月末に出るヴォーグで見てください。
私もやってみよう、と思ったけど、なかなか難しいのである。

2010年6月30日水曜日

期待の新ギャラリー「the hole」

先週、ダイチ・プロジェクツの元ディレクター、キャシー・グレイソンとが新しいギャラリーがソーホーにオープンした。
その名もthe hole

ご存知のとおり、ニューヨークのアートシーンを牽引してきたギャラリスト、ジェフェリー・ダイチがLAのMOCAのディレクターに就任することになって、ダイチ・プロジェクツはその扉を閉めることになった。

というわけで、行ってきました、オープニングに。
プレスリリースも読まずにとりあえず出かけ、入り口でもらったリストを見ると、そうそうたるアーティストが名前を連ねている。
テレンス・コー、バリー・マクギー、ザイラー・ジェーン、ディアレインドロップ、私が取材したことあるオーレル・シュミットとエヴァン・グルジス、お友達のマイケル・ウィリアムズ。
見ただけでわくわくする感じ・・・
作品の数もすごいし、インスタレーションの方法もイケてる・・・

土曜の夕方のソーホーのオープニングなんて、人が集まらなさそうな感じなのだが、お酒も出なかったわりに、NYのカルチャーシーンのパワープレイヤーたちがどんどん集まってきた。
さすが、である。

なんて思って1周したあとに、急にあれ?と思った。
なんか中途半端な感じの作品が多いのである。
そしてプレスリリースを読んで納得。
タイトルは「Not Quite Open for Business」。
予定していたショーのスポンサーが急に降りて、実現できなくなった。
というわけで、急遽アーティストに声をかけて、未完成の作品を提供してもらい、グループ展にこぎつけた、という話である。

うーむ、なるほど。
私も親友がギャラリストなので、ギャラリー運営やショーを実現することの大変さはわりとわかっているつもりである。
そしてコンセプトはおもしろいと思う。

それでもちょっぴり腑に落ちない感じ。
未完成の作品売るのだろうか?
完成させてから売るのだろうか?
とか。
ダイチ色が強いし、もうちょっと新しいものを見せてほしかったな、なんて思ったり。
せっかく「カッティング・エッジ」なものを目指すなら、何もソーホーでやらなくてもいいだろうに、とか。
まあ、見るほうは、作り手の苦労を知らずに、勝手なことを思うものである。
というわけで、次回のショーに期待しようと思います。

2010年6月2日水曜日

Gov. 2.0に参加してソーシャル・ネットワーキングに思うこと

先週のことになるが、メディア・ジャーナリストの津田大介さんのお手伝いでGov. 2.0 Expoというカンファレンスに参加してきた。
そんなことを今さらブログに更新しようというところが、私と津田さんの大きな違いである。
何ごとも消化作業をしないと、書けない体質。
だから報道に向いてなかったんだな、私。

こういう仕事はなかなかないのだが、津田さんという方とカンファレンスの内容にとても興味があったので、参加させていただいた。
勉強になりました。すごく。

要は、政府関係者(自治体から連邦政府まで、かつ海外からも)が、データ公開、クラウド・コンピューティング、ソーシャル・ネットワーキング・メディア、といった「2.0」的な問題について、情報交換をしたり、語りあったりする、という趣旨のカンファレンスである。
レクチャーをする側は、デベロッパーだったり、コンサルタントだったり、「2.0」的な問題に進歩的なアプローチを採用していて、かつ成果を出している自治体の高官だったり。

このカンファレンスのもようは、津田さんが速報で詳しくレポートしてらっしゃるので、こちらをどうぞ。
というわけで、私は詳しくは書かないけれど、Q&Aのセッションになると、「進歩的なアプローチ」代表の人たちに、「そんなこと言ったってセキュリティはどうするんだ?」とか、「懐疑的」タイプの人が質問したりして、進歩派と懐疑派の攻防はどこでも一緒なのね、と妙に納得してしまった。

3日の会期のあいだは、コンベンション・センターに缶詰。
休み時間も15分くらいだったりして、基本的に終日ずっとレクチャーを聞いていたことになる。
学生に戻ったような気分でした。

津田さんとは同じ年だということもあって、とても楽しい3日間だった。
しかも津田さんが私のことをツイートしてくれたら、一気にフォロワーが100人くらい増えて、フォロワー6万人の威力を体感させていただいた。

会場では、私も津田さんも含め、参加者がみんなTweet Deckを開いているのがおもしろかったのだが、レクチャーを聞いてる間に、津田さんがフォロワーにからまれたりしている。
それに津田さんが、丁寧に対応しているのをみて、頭が下がった。

フォロワーの数ではまったく比較にならないのだが、私も最近、たまにからまれることがある。
うーん、とうなってしまうこともあるし、嫌な気持ちになることだってあるけれど、スルーする自由があるのもツイッターのいいところだと思うので、あまり気にしないようにしているが、そこは人間なので、へこむこともあります。

なんてことを考えていたのだが、そういえば、レクチャーをしたカリフォルニア州の高官が言っていたことがすごく印象に残った。
参加者から、州の職員が業務時間外にツイッターしていたら、どう対応しますか?という質問が出た。
そうしたら、この高官は
「現実社会と同じように行動することを求めます」と答えていた。
つまり、州の職員が、たとえば業務時間外に人種差別的な発言をしたら、それは解雇に値するのだが、ツイッターでもそれは同じです、と。

これって、ネットワーク上の行動で同じことが言えるなと思ったのです。

私は、たびたびツイッター上で「名を名乗りましょう」というようなことを言ってきて、これがたまに反感を買うようなのだが、私がいやだなと思うのは、「匿名でやっていること」ではなくて、「匿名でやっていることをいいことに、知らない相手に乱暴な言動をすること」なのです。
もちろん職業上の縛りがあって、名を名乗れない人だっていると思うから、匿名ユーザーを全否定しているわけではない。
ただ、現実社会だったら、知らない人に、自分が何者かも言わないで、乱暴な物言いをしたりしないでしょ?と思うのです。

と考えていたときに、今回のカンファレンスの主催者であるティム・オライリーの「ブロガーの行動規範7箇条」をツイッター上で知った。
これは「ブロガーの」ってことになっているけど、特にこの「7」の項目、ネットワーク上のマナーとして誰にでもあてはまると思う。
ネットワーク社会はまだまだ歴史が浅いから、ユーザーたちが作っていくものだと思う。
だからこそ、マナーや規範が重要なのではないかと思うのです。

2010年5月24日月曜日

セックス・アンド・ザ・シティは好きですか?

セックス・アンド・ザ・シティは嫌いでしょう?とよく聞かれます。
なんでかな。
SATC(ちなみにこの略し方は、日本特有なんだけど)を「嫌い」という人間のタイプに見られるのは。

SATCが有料ケーブルチャンネルHBOで始まったのは、私がニューヨークに移り住んだ1998年だったし、通信社をやめて独立した頃に、日本で初めてDVDが発売されたり、そんなタイミングの偶然もあって、今まで、SATCについてはときどき書いてきた(このへんの話は、VOGUE NIPPONの6月号に書きました)。

というわけで、今回も、試写と記者会見(4人+クリス・ノース、監督のマイケル・パトリック・キング)に行って来た。
アメリカ人の男友達に「今週、SATCの仕事なんだよねー」と言ったら、「I am sorry」という答えが返ってきた。
何がそんなにイヤなわけ?と聞くと、
「It makes women look stupid」というではないですか。

どうなんだろうか。
確かにちらっと見ただけだと、そう見えるかもしれないな。

私個人的には、賛成できないところもあるけれど(たとえば、消費至上主義的なところとか)、ここまで社会現象化した映画を「嫌い」という一言で片付けられない気がするし、ごくごく客観的に見て、すごくよくできてると思う。

マイケル・パトリック・キングが記者会見で、「火がついた理由はファッションだったとしても、そのおかげで、女性の生き方にはいろんな形があるってことを表現できた」と言っていた。
ファッションは「エサ」だったわけだな、つまり。
そういう意味では、作り手の思惑通り。

今回、いくつかの雑誌に原稿を書きながら、テレビシリーズのこととかを思い出してみたのだが、やっぱりいろんな意味で、次々とタブーに挑んだところは評価するべきだと振り返ってみた(もちろんエンターテイメントだから、ばかばかしかったり、リアルじゃない部分は多少あると思う)。
わかりやすい例でいえば、「彼氏が3Pしたいっていうんだけど」とか「アナルセックスしたいって言われた」みたいな話は、現実世界でも起きているわけだけど、マスメディアではある意味タブーだったわけで、それを有料チャンネルだったとしてもテレビで表現しちゃった、ということは、やっぱりすごいことだったのだと思うのです。
そんな姿勢は新作でも生きていて、今回のテーマは、marriage、 motherhood、 menopause(更年期)の3M。
ここまで続いて、キャラクターが年をとると、避けて通れない道なんだろうけど、逃げないところはすごいと思う。

前回、「結婚=ハッピーエンド」っぽい流れで終わっていたところが多少不満だったのだが、今回のキモはやっぱり「結婚=幸せ」というほど簡単じゃないよ、という部分なのかなと思った。
結婚はゴールじゃないし、したらしたで、そのあとも延々と続いていくわけで、続けていこうと思ったら日々の努力が求められるわけです。
ま、当たり前なんだけど、意外とこれ、考えないまま結婚しちゃう人多いと思う(自分も含めて)。
最近、私のまわりの既婚者女性の周辺がいろいろ騒がしいこともあり、いろいろ深く考えてしまった。
おまけに同じ日の夜、Revolutionary Roadなんて見ちゃったこともあって。

映画自体のできは、どうですかね。
試写に参加したアメリカ人ジャーナリストたちの間では「ファンサービスっぽいよね」という意見が出ていた。
80年代の回想シーンとか、アブダビのバケーションシーンとか。

ちなみに前回もそうだったんだけど、記者会見では必ず「次はあるんですか?」という質問がでる。
そして、必ずはぐらかされる。
個人的には、そろそろやめてもいいんじゃないか、と今回思った。
ひとつのエンターテイメント作品としても、そろそろ限界にきていると思うし、現代の女性にSATCが言えることはもう尽きたような気がする。
オーディエンスに伝わったかどうかは別として。

新作が、日本でどう受け止められるか、楽しみです。

2010年4月1日木曜日

「森へ還る」



この仕事をしていて良かった、と思わせてくれた最近の仕事のひとつが形になりました。
ブルータスの「森へ還る」特集。

世界で一番大きな樹ギガントセコイアを見に、カリフォルニアのセコイア国立公園に。
そしてヘンリー・デビッド・ソローの軌跡をたどるべく、マサチューセッツのウォルデン湖まで行ってきました。

この仕事をしながら、ヘンリー・デビッド・ソローの「ウォールデン 森の生活」の新訳版を読み直してみた。
若い頃、読んだときには、「難解でよくわからん」と思ったのだが、それはどうやら訳のせいだったみたい。
訳注のついた新訳バージョン(右のFavorite欄に入っているもの)はぐんと読みやすくなっている。
よくよく考えたら、ソローがこれを書いたのは、日本に黒船がやってくる前。
そんな時代にソローは文明や資本主義の危険性について指摘しているのです。
ゲリー・スナイダーとか、アレン・ギンスバーグとか、私の思想に影響を及ぼした人は、みんなこの人の影響を受けているのではないかと勝手に想像しながら、今回の原稿を書いてみました。
ぜひ読んでみてください。

2010年3月13日土曜日

映画「The Cove」

バーチャル世界で交流させていただいている方の一人に、ニューヨーク在住のDyske Suematsuさんという方がいらっしゃる。
彼から、「The Cove」についてどう思う?
とのメールをいただいた。

見てないんですよ。
見てない理由は、1)忙しい、2)気が重い。

アメリカに住んでいる日本人なら、少なからず「気が重い」という気持ちはわかっていただけると思う。
とりあえず、捕鯨問題にかぎらず、日本の文化が問題になったりすると、どっちかのポジションをとらなきゃいけないような気になるし、見たら意見を言わなきゃいけなくなるじゃないですか。
ということで、私の腰は引けているのです。
(ちなみに、勉強しろよ、と言われるのを覚悟でいうが、なぜ捕鯨が大切で、どんな伝統的なバックグラウンドがあるのか、私の捕鯨問題についての知識はまったくお粗末である)

が、ダイスケさんが送ってくれたブログのポストは、捕鯨問題がわからなくてもわかる本質的なポイントをついていた。
ダイスケさんは、「The Cove」について、「自分のことを日本人とも、アメリカ人とも思っていない」という立場から、誠意のある姿勢でこの問題について語ろうとしている。
(ダイスケさんは、80年代からニューヨークにいて、英語で文章を書いている)

It was certainly painful for me to watch it.
Even though I don’t think of myself as Japanese (nor American), other people certainly do, so there is no escaping of the impact this film has on my identity and how people perceive me.

ダイスケさんは映画を作った側の人たちから、レビューしてくれという依頼を受けて、このブログを書いたらしいのだが、日本の立場もちゃんと代弁しつつ、映画のちょっと急進的と思われるやり方も批判しつつ、捕鯨問題の是非よりも、こういう文化的な衝突について、どう向き合えばいいのかを示唆しているような気がする。

私の目を一番ひいたのは、次の一文。
As I said in my post about whaling, when you let the situation escalate to the point of emotionally wounding one another, all you are doing is guaranteeing the conflict to last forever.
(感情的にお互いを傷つけあうところまで状況が悪化してしまうと、衝突が永遠に続くことを許すだけである)

ツイッターなどの言論を見ていても、この映画に対してかなり感情的なリアクションが目につく。
感情的に反応してしまうのは、攻撃されている、と思うから。
攻撃されたら、ディフェンシブになるのは、当たり前のことだし、(見てないながらに)映画の批判的なトーンを考えると妥当なことかもしれない。

こういう文化的な問題を、国対国というフレームで考えると、残される道は攻撃しあうだけになってしまいがち。
ダイスケさんが言うように、日本の捕鯨をやめさせることが目的だとしたら、この映画は最悪の戦略をとったということになる。

一連の騒ぎを見ていると、日本でも捕鯨が悪いっていっても、闘牛はどうなんだとか、あそこはネコを食べてるじゃんとか、そういう反応が多いような気がするのだが、それはそれでなんだか悲しい。
捕鯨がどういう理由で、どう文化的に重要で、それをどう外にアピールするべきかという本質的な議論がお留守になってしまうから。
非難されたときに、「お前に言われたくないよ」と言いたくなる気持ちはわかるのだけれど。

先日、話題にした「The End Of the Line」 が私に心に響いたのは、誰かを頭ごなしに否定したりジャッジしたりするのではなくて、「地球」として、どんどん魚が減っているという状況を前に何を考えるべきか、ということを説いていたからだと思う。
国同士で「お前だって、あれやってるだろ」とか言いあっている間に、地球はどんどん汚れ、動物はどんどん殺され、資源はどんどん少なくなっていくわけですから。
なんてことを、ダイスケさんのブログを読みながら、考えたのでした。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

2010年3月12日金曜日

カーサ・ブルータスのNY特集

久しぶりに雑誌の「ニューヨーク特集」というものに関わらせていただいた。
私が駆け出しの頃は、よく出ていたし、女性誌の「ニューヨーク特集」にもたびたび参加させていただいたのだが、最近は、そういうお仕事が少なくなった。
私の仕事の方向性ということもあるかもしれないが、「ニューヨーク特集」自体が少なくなっているのだと思う。
海外の一都市をくくりにガイド的なものを作るのはお金もかかるし、よっぽどちゃんと作らないと買ってもらえないだろうし。情報はインターネットで手に入るし。

というわけで、カーサ・ブルータスのNY特集。

前回「ニューヨーク特集」に関わったのも、カーサ・ブルータスだった。
自分が関わったから、というわけではなくて、カーサはちょっと違う作り方をしていると思う。
情報も伝えているけれど、今の空気感を伝えているというか。

今回は、私が担当したのはアートとインテリアのショップガイド、そしてトム・ブラウン対マイケル・ヘイネイの対談、アダム・キメルと中村ヒロキさんのインタビュー。
実は、もう一人、マーク・ボスウィックのインタビューをやりたかったのだが、ケガをしたということで、タイミングがあわなかった。残念。

私がインタビューしたトム、アダム、中村さんの共通項は、オーセンティックなモノ作りを突き詰めて考えている、ということだと思う。
いつも、ファッションに対して好きだけど嫌い、という矛盾した気持ちを持ち続けている私でも、この3人のやり方は筋が通っていると思う。
3人に会ったとき、彼らの感じている空気感が伝わるようなインタビューにしたいと思った。

景気が悪くなって、確実にニューヨークはおもしろくなったと思う今日この頃。
景気が良かったときにはできなかったことを、みんながやろうとしていると思う。
(ということは、中村ヒロキさんも言っていた)

というわけで、2、3年前に「最近のNY、つまんないよね」と言っていたみなさん、ぜひ遊びにきてください。

2010年3月9日火曜日

The End of the Line

というわけで、新しいブログに引っ越して第一弾です。

ついでにウェブサイトもデザインしなおして、ここからブログもツイッターも見られるようにしてみました。

ここまでくるのにどれだけの時間がかかったことか。

(引っ越しにあたり、昔のエントリーを動かそうと思ったが、やろうとしているだけで頭が痛くなった。というわけで、放置することにした。あしからず)

さて、最近、海のドキュメンタリーが話題ですね。

「The Cove」とか「オーシャンズ」とか。

この2つの話題作は見ていないので、なんともコメントできないのだが、ここまでヒステリックな感じに騒がれているのを見ると、より見る気持ちが失せてしまう。本当はこういう職業なのだから、好き嫌いにかかわらず見たほうがいいのだろうと思うのではあるが。

それはそうと、また別の海の映画「The End of the Line」の上映会に行ってきた。

招待してくれたのは、時計ブランド「シャリオール」のコラリー・シャリオールさん。

SOHO HOUSEというセレブな(という言い方は嫌いなのだが、ここはあえて)会員制のホテルでの上映会だし、会場についてみると、有名ソーシャライツの姿も見 えるし、お金持ちが集まって社会派ドキュメンタリー見る会ですか、とちょっとナナメな感じでスクリーニングにのぞんだわけです。

シャリオールさんに挨拶すると、「実はこの映画はNOBUとか三菱商事を攻撃しているようにも受け取れるから、どう思うかしら」なんて言っている。

またかよ、な気分である。

が、映画が始まってみると同時にぐいぐいひきこまれてしまった私。

日本での公開は決まっていないようなので、決まった場合に備えて、詳細は差し控えるが、要は、人間が魚をものすごい勢いで釣っているので、魚が足りなくなっている、という話である。そして、魚の減るスピードは加速しているのだが、それに日本の食文化や世界中の寿司ブームが貢献しちゃっている、という話なのである。

社会派ドキュメンタリーにありがちな展開だが、上映の中盤あたりから、かなり悲観的な気持ちになってきた。

これ、どうやって落とし前つけるんですか、って。

が、この作品が良かったのは、「できること」を提示しているところであった。

できること、というのは、シンプルに、絶滅の危機に瀕している魚を食べない、ということである。

ドキュメンタリーの終わりに、Seafood Watchという団体が出しているリストが配られた。「Avoid」(食べるのを避けるべき魚、たとえばトロ)、「Good Alternatives」(まあ食べても大丈夫)、「Best Choices」(アワビ、いくら)などがリストされている。同じウニでもメイン州の周りではまずいが、カナダでは大丈夫とか、産地によって違ったりもする。iPhone アプリもダウンロードできる。

それを見ていて、5年くらい前に同じリストをもらったのを思い出した。それを見て私はチリ産のスズキを買うのをやめたのである。この団体は、かなり影響力が大きいらしく、聞いてみると、チリ産のスズキは、絶対的な危機的状況を免れたらしい。

そして今回のドキュメンタリーもイギリスでは反響が大きく、クロマグロを出さないレストランが相次いであらわれたという話もある。

もうひとつ好感がもてたのは、あまり政治的な匂いがしなかったこと、どこか特定の国や文化を非難したりするトーンじゃなかったこと。

さらに上映後のQ&Aで新しいことを学んだ。

最近、国際社会でちょっとした問題になっているソマリアの海賊船の話。

あれはもともと、ソマリアの政府が漁業権を海外の企業に売ってしまい、商売から閉め出されたソマリアの漁師たちが苦し紛れに漁船を乗っ取ってみた。そうしたら身代金がとれてしまったので、だったら誘拐すればいいんだ!と思ってしまった、と、誘拐専門になってしまったという話である。

海賊行為や誘拐を正当化するつもりはないが、物事にはだいたいある原因があって、それが思ってもみないような結果につながってしまうことがある。

そして、原因に直接的、間接的に貢献しちゃっている人たち(魚をとっている企業も、食べる私たちも)は、そんなことは考えもしないことのほうが多い。

私だって、トロは大好きである。

もう食べません、と宣言する勇気はない。

(ちなみに、マグロも地域によっては大丈夫だったりするらしいのだが)

でも、食べるときに、世界の反対側でこんなことが起きているのだ、ということはわかっていたほうがいいような気がする。

ニューヨークや東京やロンドンといった人口の多い都会では、流行りすたりが、モノの流通にものすごく大きなインパクトを与える。

大都会に住んでいる人間の一人一人が、そういうことをちょっとでも意識して生きると、何かが変わったりすることもあるのだろうと、珍しく前向きに考えながら、この夜は帰途についたのでした。

というわけで、トレーラーはこちら。