2012年1月27日金曜日

West Memphis Threeその後

最近、過去に書いたブログがずいぶん時間が経ってからアクセスされたり、ツイートされていたりすることが続いた。
ひとつは、ドキュメンタリストのルーシー・ウォーカーさんが撮った「津波そして桜」の話題。アカデミー賞のドキュメンタリー短編部門にノミネートされたということらしい。

そしてWest Memphis Threeの話題
こちらは調べてみたら、先日行われていたサンダンス映画祭で、ピーター・ジャクソンとフラン・ウォルシュがプロデュースしたドキュメンタリー映画「West Of Memphis」が公開されたということであった。
事件については、先のブログに書いたのでここでは割愛するが、予告編はこちらで見られる。


ロイターの記事によると、ピーター・ジャクソンは、HBOが以前に作った「パラダイス・ロスト」を見て、最初は金銭的な援助をしたりしていたが、2008年に再審請求が却下されたときに、映画を作ることを決めたのだという。
「パラダイス・ロスト」ができてからかなり時間が経っているので、「West Of Memphis」を見るのがとても楽しみである。
この記事にもはっきり書かれているが、この映画には、具体的な目的が隠されている。それは、これまで何度も犯人の可能性があると名前が囁かれてきた、被害者の少年の継父にあたるテリー・ホブス氏が犯人ではないかという疑問を追求することである。
West Memphis Threeの物語は、まだまだ先がありそうである。

2012年1月21日土曜日

R.I.P SOPA & PIPA(と願う)

昨日報じられたとおり、著作権保護のために米議会が成立を目指していたSOPA、PIPA法案は、採決が延期されることになった。

昨年、この法案の存在が浮上したとき、フェイスブックやメールで、「反対しよう」というメッセージがちょろちょろ来るようになったけれど、話題になっていたのもかなり限定的な感じだったので、どうせするっと通ってしまうんだろうと漠然と思ったのを覚えている。

シェアやフリーミアムの概念、それからソーシャルネットワークをうまく使っている企業と、そうでない企業のギャップはどんどん大きくなっているような気がするが、それはさておき現行の法律で「著作権侵害」とされている行為を処罰する法律を作りたい、というところはまあわかるとしても、SOPAとPIPAの最大の問題は、著作権を侵害するコンテンツを含むサイトを、取り締まる側が裁判所の判断などを仰がずにブロックすることができる、というポイントである。こういうことを許してしまうと、インターネットの検閲になりかねないと懸念するのは当たり前のことである。

この数週間、かなり抗議運動が活発になってからも、音楽業界がナプスターを潰そうとしたときを思い出してすっかりデジャブ気分で、シェアやフリーミアムといった概念がすっかりリアリティの一部になった今、またまた何を言っているんだろうとあほらしい感じを抱きつつ、でもSOPAとPIPAを支持する団体や会社のリストを見たら、反対していたグーグルやフェイスブックの力がいくら大きくなったとはいえ、さすがの大連合には負けてしまうのではないかとやきもきしていた。

18日のブラックアウトについても、たとえばウィキペディアが24時間サービスを停止したからといって、どれだけ効果があるんだろうかと思っていたのは私だけではないと思う。ツイッター社のCEOディック・コストロのように「バカバカしい」とはっきり表明しなかったとしても。
でもあの日、どういうわけかどこかのポイントで流れが変わった。
ウィキペディアに行って、自分の郵便番号を入力し、自分の地域の議員事務所のサイトやメールアドレスを手にいれて、抗議の意を表明した有権者たちのパワーは、いくつかの議員事務所のサイトをダウンさせるに至った。
そして、最終的には、採決延期に至ったわけです。
インターネット上の運動が政治の流れを変えた。これはなかなかにすごいことだ。

採決延期が発表になった直後、ツイッターやフェイスブックを見ていたら、droppedという言葉を使っていた人や媒体もいたけれど、そうではなくて、あくまでも延期、法案の内容を見直してもう一度チャレンジするということである。
だからまだ安心はできない。
しかも、アメリカでの流れが国際的な流れに及ぼす影響は大きいわけだから(特にエンターテイメント業界まわりでは)、日本にとっても他人ごとではない。

一連の流れを見ていて、つくづく思ったのは、リソースとエネルギーのムダだよなということである。
この間、日本で自炊業者を訴えた作家の先生方の記者会見を見ても思ったけれど、著作権の侵害がけしからん、と思うのはまだわかる。でも、それを全部取り締まるのは不可能なのです。
それよりネットでコンテンツが有機的に拡散していくことをうまく使って商売したほうがよっぽど効率がいいと思う。
この騒動の最中に、VICEがおもしろい記事を出していた。
法案を提案したラマー・スミス議員が、自らのキャンペーン・サイトでクリエイティブ・コモンズ扱いの写真を撮影者に無断で使っていた、というネタである。
それだけじゃない、法案を支持した議員のなかには他にも写真などを無断で使っていた例がいくつもあったということもわかった。
冗談みたいな話だが、まさに今の世の中のリアリティである。
ご本人たちが、この皮肉をわかっているかどうかは謎だけれども、この現実を受け入れて、SOPAとPIPAはこのまま闇に葬り去ってほしいものである。

2012年1月17日火曜日

「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠(とわ)なる人生」を読んで

半年くらい前だっただろうか。
出張でノースキャロライナのたぶんシャーロットだったと思うのだが、空港で2時間くらい時間があいてしまったことがあった。
西洋のご飯にすっかり飽き飽きしていたのでお寿司のカウンター(といっても西洋風なんだけど)に座ったところ、隣の席が日本人の男性で、なんとなく会話をする流れになった。
フロリダの大学でガンの研究をしていて、学会の帰りだということであった。
そのときに、「とてもおもしろいですよ」と勧めていただいた本がこれである。



アマゾンですぐ注文して、数ページ読んだまま、どこかに置いてしまい、最近また手にとって読んでみたら、あまりにおもしろいのであっという間に読んでしまった。
1950年代にガンで亡くなった貧しいタバコ農場の女性から、本人の同意なく採取されたがん細胞が“不死化したヒト細胞”として、がんや肺炎といった多くの疾患の研究に使われ、医学の進歩に計り知れない貢献をした。
この「ヒーラ」と呼ばれる細胞の存在を知り、その持ち主の女性ヘンリエッタ・ラックスの人生に興味を持った白人のジャーナリスト女性(著者のレベッカ・スクルートさん)が、彼女についての本を書こうとして、ヘンリエッタ・ラックスの子孫に連絡を取るのだが、今も貧しい暮らしをし、メディアや白人社会に強い不信感を持った家族には拒絶される。
しかし彼女は諦めず何度もトライし、最終的にはラックスさんの娘さんにあたる女性と友情のような関係を育みながら、長期取材する、というストーリーである。
それだけじゃない。これは、アメリカの医学会にいわば「利用」された黒人患者たちの歴史の物語でもあり、医療全体に進歩をもたらした細胞についての物語でもあり、ヘンリエッタ・ラックスさんの家族の物語でもあるという、私の文章ではとても伝えきれないほど壮大な物語だった。
と思ったら、日本語にもなっているではないですか。


これ読んでいた最後のほうは、半日仕事をほっぽり出したし、最後のほうはずっと泣いてた。
なかなかないことである。
私の心に響いた理由のひとつは、作者のレベッカ・スクルートさんが、何度も何度も拒絶されながら熱意でラックス家の心をほぐしていき、でも途中なんどもすったもんだあり、いつしか自分もストーリーの一部になっていく、というポイントだったかなと思う。

余談になるけれど、そういえば、似た気持ちを持った本が前にもあったなと考えて思い出してみた。

イスラエルを訪問中に、父親がテロリストに撃たれるという事件を経て、10年後ジャーナリストとなった娘が、正体を隠して犯人とその家族に接触するというストーリーで、これが出た当時、著者のローラ・ブルメンフェルドさんにインタビューしたのであった。

自分も文章を書くという仕事をしているだけに、ここまでの熱意を持って立ち向かえる題材と出会った二人がとてもうらやましい気持ちになる。
私はこれまでそこまでのネタに出会ったことはないし、これからも出会わないかもしれない。

スクルートさんは、この本の出版とともに、ヘンリエッタ・ラックスの子孫たちを援助するためにヘンリエッタ・ラックス財団を立ち上げた。
ヘンリエッタ・ラックスさんの子供たちは、母親の存在が医学の発達に多大に貢献したにもかかわらず、社会からほとんど何の恩恵も受けなかったから。

文系人間としては、たぶん人に勧められなかったら手にとらなかったかもしれない本だ。
この本を手にとるきっかけとなった出会いに感謝である。

2012年1月12日木曜日

映画「東京原発」と市民投票

先日、ある方「東京原発」という映画のDVDをいただいた。
2004年に作られた映画である。



原発がらみの映画といえば「チャイナ・シンドローム」。こんな邦画が作られていたのも知らなかった。
邦画には相当疎いほうなので、まわりの人に聞いてみたけれど、知らない人が多かった。

役所広司扮する東京都知事が、逼迫する財政を立て直すために、東京に原子力発電所を誘致する(それも新宿中央公園に)と言い出して、スタッフを唖然とさせる。喧々諤々の会議で原発誘致の是非を論じていると、フランスから極秘裏に運ばれてきたプルトニウム燃料を載せたトラックが、爆弾マニアの少年にハイジャックされる、というあらすじ。
ストーリー展開には非現実的なところもあるし、あくまでもエンターテイメントではあるのだが、都のスタッフが喧々諤々やっている間に語られる内容には、どうやってこの国に原子力発電が導入されたかとか、環境問題とのからみとか、昨年の震災以降焦って学んだようなことが素人にもわかるように解説されている(多少のバイアスはあるにしても)。

ネットでいろいろ読んでいたら、多くのページに「2002年に制作され、公開が危ぶまれたが2004年に公開にこぎつけた」というようなことが書いてある。
これはどこからきたんだろうといろいろ見てみたが、出所がわからない。
しつこく探したらなんのことはない、映画の公式ページであった。
この公式ページには「原発基礎用語」集なんてものもついている。
去年の震災以前の世界に、映画を通じて原発について啓蒙しようという努力が行われていたのか、、、

役所広司以下、段田安則、平田満、岸部一徳、吉田日出子と錚々たる顔ぶれが出演しているのだが、脚本と監督は山川元氏。
wikiによるとこの作品以来、監督作品はないみたいなのだが、山形出身の方らしく、震災後の4月に山形新聞のインタビューがあった。
なかでも
「作品は原発に賛成か反対かを問うているのではない。僕が描きたかったのは身近に恐怖が迫るまで反応しない、人間の無関心ぶりだ」
という言葉にはっとなった。

最近、私のお友達の何人かが、東京と大阪で市民投票を実現させようとがんばっている。
この投票の意味は、原発の是非を今すぐ決めようということだけじゃない。
「主権者が、原発の将来をどうするのかについて、直接の決定権を握るための国民投票を実現させることを目的として」いるということになっている。
私は、段階的に原発をなくす努力をしていくべきだという立場だけれど、一番恐ろしいのは、いろんなことが議論されないで決まっていくことだ。
原爆投下から10年も経ってない1954年に日本の国会で初めて原子力予算が上程され、可決されちゃったときみたいに。

ちなみにこの映画は、都知事の
「人間は過去のことはすぐ忘れる。終わったことには関心がない」
という言葉で終わる。
2011年に起きたことを忘れてしまうと、また重大なことが起きているのに気が付かない、なんてことになってしまうかもしれない、ということを考えさせてくれる映画だった。

2012年1月10日火曜日

断食後記

最近、いろんな方から断食について聞かれるので、自分の頭を整理する意味もこめて、ここに書いておこうと思います。

かれこれ10年くらい前から、自分の周りのヒッピー系人口のなかで、たまに断食をする人が登場するようになって、ずっと自分とは無関係だったと思ってきたのだが、2008年の終わりに初めて挑戦した。
やりたかった大きなプロジェクトを終えて、燃え尽き症候群っぽい感じになっていて、自分の頭を切り替えるためのチャンスとして挑戦したようなぼんやりとした記憶がある。
以来、平均するとだいたい1年に1度のペースで、だいたい4日から10日くらいの期間、デトックスの目的でやっている。

断食と一言にいっても、いろんなメソッドがあるのだが、私がやっているのは、アメリカではたぶん一番普及しているであろうmaster cleanseと呼ばれる手法であります。
固形のものは一切食べないけれど、レモンとカイエン・ペッパーとメイプルシロップで作るレモネードを飲む。どれだけ飲んでもいい。
なのであまり空腹感もない。
そして朝には塩水を飲んで、お通じを促進する。
このやり方には、もちろん批判もある。
レモンだけでは必要な栄養素は摂取できないし、このやり方が体に良いという科学的な根拠がないという声もある。

それでも私が断食するのは、普段カジュアルに口に入れているカフェインやお酒、砂糖、タバコといったものを、数日間でも口に入れないことで体がものすごく軽くなるからです。
食べないのは辛くない?とよく聞かれるけれど、食べないこと自体はそう辛くない。
でもカフェインをとらないことで頭が痛くなったり、ぼーっとするのはちょっと辛い。
だから、まったく日常的に仕事などをしながらやろうと試みたこともあるけれど、やっぱりあまりうまくいかなかった。

というわけで、新年から1月5日までレモネードのみの生活、そのあとはベジタブルスープ、9日に初めてアルコールを口にし、今日初めて肉を口に入れた。コーヒーはがんばって今も飲んでいない。
もともと不摂生なタイプなので、これだけクリーンな生活がどれだけ維持できるかわからないけれど。

体が軽くなることのほかに、精神的にもすっきりするとか、肌がきれいになるとか、良いところはほかにもいろいろあるのだが、今回強く思ったのは、食べ物の存在に今まで以上に強い感謝の気持ちが芽生えることである。
食べない間、ツイッターやインスタグラムでみんながアップする写真を、閉じるかわりにじーっと見て、ああ、あれがもうすぐ食べられるんだ考えてみたら、精神的にものすごくあがった。
この数日間、口に入れているものも、前とは違う気持ちで、よく味わって食べるようになった。
なんだか新しい楽しみを見つけたような気持ちである。
というわけで、新年をとてもいい気持ちで迎えられています。

2012年1月4日水曜日

2012年を迎えて



年末から、2011年はブログをちっとも書かなかった、と反省していたのに、新年のご挨拶を書くのがこんなに遅くなってしまいました。
上の写真は、龍とはまったく関係のないカエルでございます。
メールにもつけてみたら、干支に詳しくないであろう白人男子から「カエルの年なんてあったっけ?」というアホなメールがきましたが、単に去年撮った写真のなかで一番インパクトが強かったので、使いたかっただけなのです。

年賀メールも新年ブログも先送りにしてしまったのは、年末はほとんど毎晩飲み歩き、そのまま新年を迎え、断食に突入したために、大きなことを考えられなかったということもあるのだが、激動の2011年が終わり、新年を迎えて何を言えばいいのかわからなかったからだと思う。
いただいた年賀メールに、「震災があってから、幸せだとを口にする事にひっかかりを感じる世の中ですが」と書いてあるものがあった。
震災のあとに、ツイッターでどなたかが「すべてが変わったと思うのはそれまでよっぽど緩い人生を送っていたに違いない」というような趣旨のことを書いていたのを目にしたけれど、私のように海外に住んでいたって、日本であれだけの惨事が起き、かつそのあとも放射能の問題が続いた(そして今も続いている)ことで、いろんなことが根底から揺るいだと感じたのだから、緩い人生を送ってるかどうかの問題ではまったくないと思うのだが、その一方で、私の人生の何が変わったかというと、前以上にインターネットにかじりつく時間が増えた、電力の消費に神経を使うようになったという程度で、前と同じように、意味があるのかないのかわからないような仕事をして、日々過ごしているわけです。
そして、幸せってなんなのか、豊かさってなんなのか、何を目指して生きていけばいいのか、前以上にわからなくなった気さえする。
そんなふうに感じていたので、年の始めに断食でもして、頭をクリアにしようと企んだわりには、まったく進歩しなかった気がする。

というわけで、まだ沼を歩いているような気持ちでありつつ、抱負を考えてみた。
数年前から、「2012年は運気が悪い」と言われ続けてきて、ここ数年、特に大きな事故や事件に見舞われることもなく生きてきたので、おいおいそろそろくるんじゃないか的に腰が引けている部分もありますが、去年ローンチまでこぎつけなかったプロジェクトを立ち上げること、そしてよりオープンに、より柔軟に生きていこう、というのが2012年の目標です。

というわけで、みなさま、今年もお付き合いいただければと思います。
自分を炊きつけるために書いたブログを最後まで読んでくださってありがとう。