2011年8月20日土曜日

West Memphis Three と死刑制度

先日、自分にとってとても特別なことが起きました。
日本では知ってる人はほとんどいないと思うけれど、「West Memphis Three」と呼ばれる、殺人犯の汚名を着せられ(とあえて言わせていただく)、そのまま18年も服役していた3人組の男子が釈放されたのです。

そもそも事件が起きたのは1993年。
場所はアーカンソー州のウェスト・メンフィス。
8歳の少年3人が遺体で発見され、その姿があまりに無残だったので、かなりのニュースになったらしい。
そして、その地域でよく問題を起こしていた、16歳から18歳の少年3人が捕まった。
問題っていっても、万引きとかケンカとかそういう類のことである。
でも、ヘヴィメタルのファンだったということから、サタン主義の儀式で子供を殺したのではないかというセオリーが浮かび上がった。
警察は3人のうちで一番IQが低い少年を12時間勾留して、自白を強要し、彼はついに自白してしまった。
とまあ、いろいろあって、確たる物証もないのに3人は有罪判決をうけた。
おまけに「首謀者」とされたデイミアン・エコルスは死刑判決。
デイミアンの友達だったジェイソン・ボールドウィンは終身刑、すぐに撤回したものの自分の自白が友達の裁判に使われちゃったことから、二人とは別々に裁判にかけられたジェシー・ミスケリーは終身刑+40年の判決を受けました。
というのが、ごくごく簡単な事件の概要。

私がこの事件を知ったのは確か98年くらいだったと思う。
1996年にHBOが「パラダイス・ロスト」というタイトルのドキュメンタリーを作って、それを再放送で見たのでした。
そもそもの事件の残忍さ、裁判のいい加減さ、デイミアンのカリスマ、それから登場する関係者の何人かの特異なキャラクターと、不謹慎な言い方をすれば「事実は小説よりも奇なり」的要素がわんさか揃っていて、事件に夢中になった。
そして、捜査がどれだけいい加減に行われ、自分と同世代の男子たちが「魔女狩り」のスケープゴートになったかを知って怒りに打ち震えた。
「パラダイス・ロスト」のトレーラーはこちらから。

ちなみにウェスト・メンフィスは、ドキュメンタリーなどで見るかぎり、この世の終わりみたいなひどい場所だ(そばまでは行ったことがあるけれど、この街には行ったことがない)。
ウィキペディアのページに平均所得27,399ドルと書いてあるのを見て、意外に多いなと思ったくらいである。
貧しいわりには、カジノなんかがあって、犯罪率は全米平均よりぐんと高い、そんな土地柄である。

「パラダイス・ロスト」には、たとえば3人の無実を信じたメタリカが、初めて楽曲が映画に使用されることを許可した作品だったというようなエピソードもあったし、HBOが殺された少年たちの遺族と、有罪判決を受けた男子たちに出演料に相当するお金を払ったことがのちに物議を醸したりもした。
そして「パラダイス・ロスト」の反響が大きかったものだから、HBOは2000年に続編を発表した。
続編はYouTubeですべて見られます)。
事件についての本も何冊も出たし、ディクシー・チックスやジョニー・デップといったけっこうな数のセレブが、彼らの無実を訴えるキャンペーンもした。
そして2007年に、新しいDNAテストの結果が明らかになり、彼らのDNAは現場にはなかった、ということまでわかった。
そして、今回の釈放につながった。

その日、私はハフィントン・ポストのツイートで、彼らが釈放されたことを知った。
そして釈放された彼らの記者会見を見た。
捕まったときはティーンエージャーだったのに、もうわりとおじさんになっている。
当たり前だよね、私と同世代だもん。
最初、記者会見を見始めたときは、よかったなあ、という気持ちだったけど、見ているうちに、だんだん腹がたってきた。
私が大学に行き、留学して就職し、3回転職し、結婚して離婚し、フリーになって何年も働いて、さんざんいろんなところに旅をし、飲み歩いたりしている間、彼らはずっと刑務所のなかにいたわけである。
やってもいないことのために。
DNAの結果がわかってから4年かかったのもすごいし、その間、その間ずっと、デイミアン・エルコスは、1日24時間のうち23時間を独房でたった一人で過ごしていたというのもヒドい。
しかも、今回の釈放には、「Alford Plea」という小難しい罪状認否の形が適用されて、「無実は主張するけれども、自分たちが有罪になるだけの十分な証拠があることを認識する」というわけのわからない、一応有罪だけど、服役しました、という形をとったのだという。
やってないことを認めることはできない、と言い続けたジェイソン・ボールドウィンが、今回の司法取引を受け入れた唯一の理由は、デイミアン・エルコスを死刑台から救うためだったという。
どこまで?というくらいの不正義である。

しかし、こういういい加減な裁判で「有罪」にされてしまう人が、この世の中にどれだけいるかと思うとぞっとする。
ウェスト・メンフィス・スリーの場合は、そもそも事件の注目度が高かったことや、ドキュメンタリーや、セレブのキャンペーンといった多くの要素が作用して、最終的にはこういう結果になったわけだけれど、たとえば死者が出てないケースや、軽犯罪系だったらいくらでもありそうである。
私はアメリカにきてから、死刑は廃止するべきだと考えるようになった。
警察や検察は横暴だし、裁判の結果は、どれだけお金をつぎ込めるかということに左右される。
裕福だったら死刑にはならない。
システムが機能している例も多数あるけれど、機能していない例も山ほどある。
検察が正義を追求したからといって、正しい結果に終わるとはかぎらない。
市民全員にフェアに適用されないんだったら正義とは呼べない。
そういうことを考えさせてくれた事件のひとつが、この事件だった。

彼らは、これからも戦い続けて、真犯人を見つけるつもりだという。
ちなみに、真犯人も、疑いの濃いと言われいる人物がいて、DNAの証拠もあがっている。
そして、この秋には再審も予定されている。
これから警察と検察の責任を問う声もあがってくると思う。
3人のティーン・エージャーから将来を奪った人たちが、どう責任をとるのか、見守っていきたいと思います。







2011年8月2日火曜日

グランドサークルへの旅/ブルータス

もう1週間近く経ってしまいましたが、6月にナバホ族の居留区を中心にグランドサークルと呼ばれるエリアをまわった旅が、誌面になりました。



行くたびにルートは違うけれど、ナバホの居留区を訪れたのはこれで4度目。
前回は、2008年の大統領選挙の前に、コヨーテの企画で全米を旅していた途中にカイエンテという街に立ち寄ったとき。
マクドナルドで中学生の女の子たちと知り合って、できたばかりのスケートパークに連れていってもらったのだった。
これだけあれこれめざましく変わる時代である。
3年も経てば、風景は変わらないにしても、どれだけ変わったかと恐れていたのだが、相変わらず電波のつながらないところは多いし、まだ多くの人が水道も通っていない村落で、ガス式発電機を使った電気を使って暮らしている。
このあたりは、ここがほんとにアメリカ?と思うような感じで、まったく違うペースで時間が流れているのです。
かつては大都会に暮らし、そのうち故郷にもどってきたというナバホの男性と話をしたときに、不便を感じない?と聞いたら、「We Navajos do with what we've got」という返事。
それまでのことなんだけど、あるものでなんとかするって、実はすごく大切なことな気がします。
今、原発をゆくゆくはなしにしていこうという意見に対して、「経済止まっちゃうけどいいの?」という意見を目にする。
そしてそこには、ナイーブな理想主義者に対するちょっとした上から目線を感じたりする。
けれど、過去のことはともかく、危ないとわかった手立てで電気を作り続けるよりは、あるものでなんとかできる方法を考えましょう、ということのほうがよっぽど現実的な気がする。
というようなことを、アリゾナまで出かけて考えてきたのでした。

と話はすっかりそれたけれど、2660キロ走って撮ってきた風景の数々が紹介されているので(写真は伊藤徹也さん)、よかったら手にとってみてください。