2012年11月14日水曜日

PERISCOPE日本語化とハリケーン・サンディのこと。

ご無沙汰しました。
10月の後半は、4年ぶりのアメリカ大統領選挙前アメリカ一周ツアーに出ていました。その模様は、Tumblr を使ってPERISCOPEのウェブでリアルタイムにアップしました。
そしたらアメリカ大使館主催のニコ生番組からお声をおかけいただき、初めてニコ生の番組に出ました。そしてせっかくなので、このタイミングに間に合わせようと、PERISCOPEの日本語版を作りました。
と、なんだか子供の作文みたいになっていますが、アメリカ一周の旅に出ていたら、ハリケーン・サンディがやってきて、ちょうどニューヨークに戻るタイミングがサンディと同じになってしまうという妙なことになったわけです。
川に近いので避難地域に入っていた我が家ですが、実際には被害の大きかったエリアのみなさんに申し訳なく思えるほど影響はなくて、旅にでている間にためこんだ締切に立ち向かうべく、そしてPERISCOPEの日本語化の作業をするために、そのまま電車が泊まっている間も、ずっと毎日家で作業をしていたわけですが、その間に、ダウンタウンは洪水やら停電やらでとても大変なことになっていました。

ダウンタウンの電気は徐々に復旧し、1週間近く止まっていた地下鉄もほぼ普段どおりになったけれど、一番被害の大きかったエリアはいまだに大変な状態が続いていて、ようやく週末時間ができたのでロッカウェイズにボランティアに行ってきました。

車を持っている私は、物資を届けたり、糖尿病の患者さんに必要なモニターシステムをとりにいって、ドロップするというような役割をあてがわれたので、ロッカウェイズの周辺を車でうろうろする機会に恵まれたわけですが、今も電気が通っていないなか、住民やボランティアがれきの整理をしていたり、動かない信号のそばで、警官が交通整理をしたり、戦車がうろうろしていたり、どれだけ大変なことが起きて、いまだに住民の人たちがどんどん下がる気温と戦いながら、日常に戻るのに苦労をしている様子がよくわかりました。

今回特に被害が大きかったのは、ニュージャージー州の一部の地域や、ニューヨークでいうと、ロッカウェイズというビーチ沿いのエリア、スタテンアイラン ド、レッドフックというブルックリンのウェアハウスが立ち並ぶ、最近ヒップになってきたエリアなど。日本のみなさんが「ニューヨーク」 という言葉を聞くときに、思い出すエリアではないかもしれないけれど、ニューヨークに暮らしていると、どこも馴染みの深いエリアばかり。私が行ったロカウェイズは、地下鉄でいけるビーチとして、ニューヨークのサーフィン・カルチャーの中心地で、私も夏になるとたまに遊びに行った地域。この夏、ポパイのニューヨーク特集を作ったときに、いろんな人の口からおすすめの場所として出たところでもあります。私も夏になると(たまにだけど)遊びにいったロッカウェイズのボードウォークは、影も形もなくなっていて、これからもとの姿に戻るのに、どれだけの月日がかかるのだろうと思ったら、それはそれは悲しい気持ちになったわけです。

ロッカウェイズには、ビーチもあるけれど、プロジェクトと呼ばれる低所得者のための公共住宅が立ち並ぶ貧しいエリアもかなり広範囲であって、そのあたりでは、水や食料を受け取ろうとする住民が、教会や学校といった救援物資の配給所に長い列を作っている姿が見えました。 こういうとき、ニューヨークのような場所では、貧しいエリアが後回しにされる傾向があるのですが、ただでさえ大きいハリケーンの被害に、その傾向が加わって、とても切ないことになっているわけです。

ニューヨークの暮らしは、ほぼ普段通りに戻っているようで、今回のハリケーンの被害はまだまだ払い去られてはいません。まだオフィスに入れずに、自宅から仕事をしている人がずいぶんいるし、長年住んできたアパートが、安全でないと判断されて、立ち退きを迫られている人もいます。多くのギャラリーで多数の作品が損傷を被ったと聞くし、zineとアートブックの専門店Printed Matterでは、大量のアーカイブが失われたと聞きます。恐るべし、サンディ。

今回、私が家で仕事にかかりっきりになっている間に、アーティストやオフィスに出かけられなくなった友人たちが、草の根の組織を立ち上げて、毎日のように被災地に出かけている姿には強い刺激を受けました。特に日本でもちょっと前に個展をやったiO Tillett Wrightが立ち上げた団体は、電気の通わない地域に食料を届けたり、懐中電灯や衣類を集めたり、これからは、自家用発電機などを購入するための資金を集めるそうです。先日やったベネフィット・ライブには、羽鳥美保さんのNew Optimismやデヴェンドラ・ヴァンハートなんかも参加していて、そのときの彼女のスピーチで、「カトリーナがニューヨークの裏庭で起きた」という言葉が印象に残っています。規模はともかく、いまだに家に帰れなかったり、電気や暖房のないところで暮らしている人がいるという事実だけでもカトリーナと重なる部分があるのです。

と、なんだかものすごく長くなってしまったけれど、日本にはその深刻さがいまひとつ伝わってないのでは?という声を何度か聞いたのと、某ファッション系のニュース・サイトで、邸宅をいくつも持ってるデザイナーが「家に帰れない」といって怒っているという記事が出ていたのをみてちょっとなんだかな、という気持ちになったので、このブログを書きました。でもね、私もロカウェイズに行くまで現実の深刻さはわからなかった。ニュースで見えることなんて、ほんのちょっとなんですよね。