2010年12月16日木曜日

中年とロックとハードニッポンガールズ

先日、Nada Surfというバンドを見に行ってきました。
メインの彼が友達のレストランの常連さんということで、誘っていただいたのである。
私はこれまでノーマークだったんだけど、検索したらけっこう有名なバンドではないですか。
なかなかに素敵なバンドだった。
ちょいとチージーに思える瞬間とかもまああるんだけど、ビートルズを思わせるノスタルジックな甘めのオルタナといった感じか。
でも、オアシスよりも真摯でピュアで不器用な感じ。
極寒の水曜日、11時にスタートするショーなのにソールドアウト。
しかも観客は私より年上(40歳代多かったような)に見える男性ばかり。
聞けばこのバンドは1992年からやっているという。
私がアメリカにくるさらに前である。
観客の盛り上がり方をみて、自分の思い出と楽曲をリンクさせているんだろうということが想像できる。
人間、ノスタルジーに訴えられると弱いのだ。
と、改めて確認。

前にも書いたことがあるけれど、自分のまわりのミュージシャンたちが年老いていくのを見ていて、ちょっと切ない気持ちになるときがある。
ほとんどの場合、ずっと貧乏だし、結婚したり、子供を持ったりすると、ライフスタイル的にも続けていくことのハードルがどんどん上がる。
だからこそ、こうやってやり続けてる人に頭がさがります。

そういえば、私のNYの女友達4人が、ちょうど2年くらい前にバンドをはじめた。
私と同世代の日本人女子たちである。
みんな、それぞれ仕事も生活もあるわけで、そんななか、バンドを始めたと思ったら、あっという間に驚く勢いで成長し、ブルックリンまわりで確実に人気を伸ばしている。
その名もHard Nips。
ハードニッポンガールズである。
友達だということもあるが、心からいいと思っているので、ライブがあるときは見に行くようにしている。
そしたら、ちょっと前にたまたまNYにいたCMディレクターのサノ☆ユタカさんが一緒に遊びにきてくれて、それがご縁となって、楽曲がCMに使われることになった。
そして、サノさんの手によって、CMができた!


サノさんとはそんなに長いお付き合いじゃないけれど、お会いしてすぐに大好きになった。
どんなに遅くても、遠くても、つきあってくれる。
そして貪欲に楽しみまくる。
このくらいの貪欲さがないと、おもしろいものには出会えないのだ。
そんなサノさんがNYにいらっしゃるたびに、ものすごいエネルギーをいただいている。
大好きな人たち同士が仕事で結びつくのを見ると、ものすごく幸せな気持ちになる。

そして、やり続けてきたNada Surfもいいけど、この年代で新しいことを始めちゃったHard Nipsからも、相当素敵だと思う(そして、両方とも、ナマで圧倒的な力を発揮するライブバンドだ)。
自分も引き続き「歳相応」という概念には反抗していこうと思います。

2010年12月8日水曜日

追記:石原都知事発言で思うこと

昨日のブログを書いてから、表現の自由について悶々と考えているのだが、そういえば、表現の自由を考えるのにとても良い映画があったのを思い出した。



原題はThe People vs. Larry Flynt。
ラリー・フリントは、今も雑誌ハスラーを運営しているし、同名のストリップバーを経営したりしているけれど、暗殺されそうになったこともあれば、表現の自由を争って最高裁まで行ったこともある。
まだ見てない人はぜひ見てください。

もうひとつ。
昨日のブログを書いたときは、怒りですっかり忘れていたのだが、ちょっと前に書いたTokyo Super Star Awardは、都庁で開催されたのでありました。
そして昨日ツイッターで学んだことには、TSSAは、石原都知事にラズベリー賞を授与したんだという。
これ、フェイスブックに登録してないと見られないんだけど、どうですか、このユーモアのセンス。
ぷんすか怒ってる自分が恥ずかしくなりました。
何かを変えようと思ったら怒るだけではダメなのであった。

2010年12月7日火曜日

石原都知事発言に思うこと

今日は久しぶりに朝からカッカしてしまった。
石原都知事の発言について読んだからである。
「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」ってやつね。
足りないのも、気の毒なのも、どっちだ。まったく。

せっかくの気持ち良い朝が台なし、とカッカしながら、無知を露呈してかっこわるいことになっているのは発言者本人だと思ってみたりしたんだけど、考えれば考えるほど看過できない。

なぜ看過できないかというと、今、「過激な性行為を描いたマンガやアニメの販売などを規制するための東京都の青少年健全条例の改正案」が議論されているから。
私は、マンガもあまり読まないし、この改正案が通ったところで、自分が受ける短期的な影響はかなり限定的だろう。
しかも、問題になっている「過激な性行為の描写」は、きっと相当過激なんだろうと想像する。
かつ、子供を持つ親御さんたちが、こういうことを危惧することも理解できる。
と、百歩譲って考えようとしてみた。

でも、何を規制すべきか、誰が決めるわけ?って問題がある。
いろいろ読んでみると、何を規制すべきか、という部分が曖昧だし、となると、かなり恣意的に規制することができてしまうことになる。
しかも、同性愛者をつかまえて、遺伝子がどうのとか、気の毒だとか、足りないとか言っちゃうような政治家が、規制の対象を決めるとしたらどうだろう?
表現の自由は、私にも、子供を持つおかあさんにも、病的なフェティズムをもった変態にも、同じように保証されてる。
「野放図」だって、テレビに気に入らない人が出てることだって、自分の趣味趣向にあわないものがあふれている現状だって、すべて自由だからだ。
でも、「自由」の内容をお上が決めるとしたら、それはもう自由じゃないのだ!!!
と、一人で興奮しちゃったけど、児童ポルノを擁護してるわけじゃないよ、念のため。