2011年3月13日日曜日

東日本大震災:911を体験して伝えたいこと

東日本大震災。

地震が起きた日、いつもより早く寝てしまったので、気がつかなかった。
起きて地震があったことを知り、家族に電話をしたのだがつながらない。
これまでいつも家族に心配される立場だったのが、初めて、心配する側の気持ちを味わった。
すぐにツイッターを見ればいいのだと思い、妹の行動をみて家族の無事を確認したけれど、家族と連絡がとれない間、デジャブのように思い出したのは、2001年9月11日のことだった。
あのときは、無事だよ、ということを伝えたくて、必死にリダイアルを押し続けたのだった。
思えば、あと半年であれから10年なんですね。

天災と人災という点で違うところもたくさんあるけれど、この日で確実に何かが変わった、という意味でどうしても重ねあわせてしまう。

10年前、私は報道の現場の片隅で生きていた。
そして911のテロが起きた。
知り合いではなかったけれど、会社の同僚が何人か亡くなり、親友のひとりが、婚約者を亡くした。
報道という業界なだけに、泣いたりパニックに陥ったりする暇もないまま、毎日機械的に出社して、夢中で働く日々が続いた。
そのうち炭疽菌事件が起きて、通信社だった勤め先に愉快犯からの白い粉が届いたりするようになり、わりと長い間、かなり緊張した状態で生きていた気がする。
今、あのときのことを思いだそうとすると、曖昧な部分も相当ある。
泣いたりパニックに陥ったのに、そのときの記憶がすっぽり抜け落ちてるのかもしれない

今回これだけの規模の大地震を経験して、犠牲者を多くだした上に、まだ安否確認もおぼつかなかったり、救援の手が届いていない場所があって、さらには原子力発電所の問題もあって、今、とても緊迫した状態にある日本をみて、自分の経験から、日本の友達に伝えられることがないかと考えてみた。
どうやら長期戦になりそうだから。
思い出してみたところ、曖昧な記憶ながら、あのとき、
初期のショック→団結したり、人の善意に感動したりする段階→だんだん政府の対応や一部の悪人たちに腹を立てる、という3つの段階を経たことを思い出した。
そして、自分の感情の起伏にびっくりしながら、長い時間かけて、いろんなことが変わってしまったことにアジャストしたような気がする。

そして、そのなかで学んだことをいくつか。
もしかしたら、わざわざ書くようなことでもないのかもしれないが、今、10年経って、こういうことを思い出したことは、自分にとっても意味があることだと思うので。

ーよっぽど無神経、不謹慎な例外をのぞいて、「こんなときに」と人を責めることで生むものはないということ。
惨事の受け止め方、悲しみや衝撃がやってくる速度は人によって違うし、インパクトもそれぞれ違う。
ここでいがみあっても、精神的な二次災害を生むだけだし、長期戦になるとくだらないことやユーモアが助けてくれる。

ーぴりぴりしているときの、ネガティブな感情は連鎖する。
わざわざ書くほどのことでもないのかもしれないけれど、「チンピラ記者」の会見をみて、つくづく。
有事の際には、政府にしても、マスコミにしても、市民が監視する必要性は高まるのだけれど、必要以上に声を荒らげたりすることで、生み出すものはない。

ーサバイバーズ・ギルトを感じないように。
こういうときって、被害が小さかったり、自分がうけた影響が小さかったりすると、なんだか罪悪感を感じてしまったりする。
逆に「お前にはわかんないだろ」もなし。
マスコミについて書いたツイートに返ってきたリプライに、「自分たちは無事だったんだから」という絡みリプライをされてむっとした。
別に自分たちが無事だったこととは無関係である。

ーそれから、自分がやってることに意味がないと思わないこと。
これ、私もよくやる。
カルチャーとか、ファッションとか、意味あるんだっけ?と思ったりする。
そしてやる気をなくしたりする。
でも、それぞれが与えられたことを淡々とやりつつ、前に進まないと「日常」には戻れない。

ーそして、どんなにトンネルが暗く思えても、いつか光は見えてくる。
あのとき、これから癒されるまでどれだけ時間がかかるだろうと思ったけど、やっぱりいつかは癒しのときがやってきた。それは「忘れる」ってことじゃなくて。

そして、最後に。
亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。