2010年11月29日月曜日

ニューヨークと写真



今日発売になったPaper Skyで「ニューヨークと写真」という特集に参加させていただいた。
がっつり30P強。
90年代にNYに住んだことのある写真家の若木信吾さんと、ニューヨークの写真と縁のある場所(ミュージアム、ブックショップ、ギャラリー、ワークショップ)を訪ねたり、写真家をインタビュー(ライアン・マックギンリー、ピーター・サザーランド、ジョエル・マイロウィッツなど)したりしました。

今回またいろんな人と写真について話をしたのだけれど、カメラという誰にでも手に撮れるメディアを使って、自分の世界を作り上げるという行為の奥深さについて改めて考えた。
これまでロバート・フランクとか、ポール・フスコとか、ティム・ヘザーリントンとか、たくさんの写真家をインタビューしてきて、どうしてもニューヨークと写真との関係を考えると、ロマンチックな幻想を抱きがちだけれど、ニューヨークに世界中から写真家が集まってくるのは、この街が商業の中心で、仕事がいっぱいあるからである。
仕事もいっぱいあるけれど、「ニューヨークで石を投げるとフォトグラファーにあたる」と言われるくらい写真家もたくさんいるわけで、写真というメディアでこの街でご飯を食べたり、新しいものを創作し続けることがいかに難しいか、ということについて改めて考えてしまった。
どんなに活躍しているフォトグラファーでも、その話になるとふうとため息をついたりする。

さて、私のなかでのひとつの目玉は、6年ぶりのライアン・マクギンリーのインタビューだった。
実は、インタビューする写真家のセレクションをしているときに、彼をリストに入れるのに自分のなかでかなり抵抗があった。
スーパースターだから。
そして、ニューヨークのアート界(とかファッション界)が彼をスターに担ぎだした文脈になんとなく抵抗感があったから。
でも決まってしまえば、6年前には「ものすごく才能がある子ども」という印象だった彼がどう成長しているか、急に好奇心が湧いてきた。
というわけで出かけていったわけである。
前回は住居だったスペースが、完全にオフィスになって、何人ものスタッフが忙しく働いている。
会ってみたライアンは、以前の100倍くらいのオーラを出していた。
そして、インタビューしてるんだけど、なんか映画を観ているような気分になった。
与えられた役を完璧にこなしている感じ。
原稿には書かなかったけど、若木さんがライアンについて、「アメリカは新世代のスターを必要としてたんだよね」と言っていた。
本当にそのとおりなんだろう。
担ぎだされた若者は、スターになっちゃったプレッシャーをうけながら、新しいものを作り続けている。
そう思ったら、なんか不憫になっちゃったりして。

最近あまりニューヨークの街中で写真を撮ることがほとんどない、というライアンに、この街との関係はどう変わった?と聞いたときの
I hate it when people say "New York used to be cool"
New York is what you make of it
という返事が印象的だった。

というわけで、手にとっていただけるととてもうれしい。
ちなみにブルータスも写真特集、コヨーテも写真の号が出るようですね。
まったくアングルが違うようなので、読者として楽しみにしています。

番外編:Tokyo Superstar Award

2年くらい前に、2週間と時間を区切って、20人強のアーティストにインタビューした原稿を、かなり長い期間寝かせてしまったのだが、今、まとめの作業をやっているところである。
アーティストたちに、生い立ちの話を聞いていて、いつも思うのは、「子どものとき、大変だったでしょう?」ということである。
変わり者が多いから。

そういうふうに思うのは、アーティストたちばっかりじゃない。
私の周りを見回して目に入って来る友達も、相当ツワモノの変わり者ばっかりだ。
だから音楽にしろ、アートにしろ、その他の職業にしろ、「自分の居場所を見つけてほんとによかったね」と思う。
ちなみに私も、小学校からずっと一緒だった同級生が、高校時代に「ゆみって、すごい変わってるよね」と言うので愕然とした思い出がある。
大人になって、自分と同じくらい、またはもっとおかしな人たちに出会ってほんとによかった。

で、そんな変わり者のお友達のひとりに、わりと最近仲良くなったゲイの男子がいる。
東京に住んでいるので、たまにしか会えないけれど、いつも会うと、目がきらきらしているなあと感心する。
その彼が、こんな素敵なイベントのために奔走している。
この間会ったときに、ブログに書いてね、と頼まれたのだけれど、うかうかしているうちに、このイベントはソールドアウトになっちゃったようで、どうやら私の応援はいらなかったらしいのだが、それでも応援したいので、書いちゃいました。

日本のゲイ・レズビアン問題についてはいろいろ思うことがあるけれど、それはまた今度の機会に。
というわけで、イベントの大成功を祈りつつ。

2010年11月23日火曜日

ビートルズのiTunesデビューについて考えてみた

iTunesがビートルズの楽曲を配信したことがニュースになっていましたね。
ビートルズ(とその権利継承者たち)は、アップルと長年もめていたわけですが、やっぱりビートルズでも時代の流れにはかなわないということか。
楽曲がバラ売りされるのは、とか、MP3はどうかとか、いろいろあると思うけど、もうしょうがないよね、時代の流れがそうなっちゃってるんだから。

そんなとき、ツイッター上でのこんなやりとりを目にした。
ビートルズを「知らない」と言った人がこてんぱんにされている。
そして、そのあとも感情的なやりとりが。
なぜ、ビートルズは、人をこうも感情的にするのだろうか?
アップルと長年もめていたビートルズがiTunesに配信を拒んできたことが、ビートルズを知らない人がいることと関係があるかどうかはわからないけれど、これだけいろんなことが細分化していくと、「誰もが知っている」存在が減っていくのはしょうがないことのような気がするんだけど。

それで思い出した。
数年前、日本の某大企業がNYで催したイベント後の打ち上げで、スーツ組のおえらいさんを紹介された。
名刺を交換したものの、明らかにお互いの共通項を見つけられずにもじもじしちゃったりして。
おじさま、私たちのこと、宇宙人でも見るような目付きで見てるし。
が、その後、このおじさまがスピーチをした。
初めてのNYで、セントラル・パークのストロベリーフィールドに行って感動した、という話で始まり、だから僕にとってはNYでイベントを成功させることがとても大切だったんです、というような話の流れだった(記憶、かなり曖昧)。
たったそれだけのことだけど、私にとっては軽くショッキングな出来事だったのである。
言っちゃ悪いが、この冴えないおっさんと私の間に、「一度人生のどこかでビートルズに感動したことがあった」という共通項が存在するという(当たり前といえば当たり前の)事実に愕然としたわけです。

でも、よく考えてみると、「メジャー」とはそういうことなわけです。
となりのおじさんも、イケイケおねえさんも、近所の子どもも知ってる、だからメジャーなのです。
マイケル・ジャクソンもビートルズも、ある程度音楽に興味がある人間なら必ず一度は通る道だった。
が、こういうことも変わりつつある。
マイケル・ジャクソンが死んだことで若い世代に再発見されたように、これからビートルズを再発見する人もいるだろうし、逆にビートルズと出会わずに一生を終える人がいてもしょうがないことのような。

話は変わるけれど、先日、USAISAMONSTERというもう解散しちゃった大好きなバンドの「リユニオン」ショーに行った。
なぜ括弧付きかというと、再結成ライブではなくて、「R.I.P」と名付けられた最後のアルバム発表にあわせて、元メンバーがそれぞれ今属するバンドが演奏する、というイベントだったから。
このバンドについては前にも書いたことがあるけれど、素晴らしいバンドなのに、いまひとつ戦略方面が苦手で、最後の1年はそこそこはじけたけれど、結局大当たりすることなく終わってしまったバンドである。
解散して2年経ってようやく最後のアルバムをリリースするってところもなんかうまくないし、でもそんな不器用なところも含めて好きだった。
と思ったのは私だけではなかったらしく、ミッドタウンの辺鄙なハコだったのにもかかわらず、大盛況であった。
そして、そのイベントを仕切ったのは、Todd PというブルックリンまわりのDIYシーンを取り仕切っているお人(この人についてはNPRに詳しい記事が出ています)。
これまでたくさんの才能を発掘してきたのに、いまだにこういう地味なイベントをやり続けている。

ちなみに、私が仕事では、いわゆるメジャーなものをサブジェクトにすることが多くなりがちだが、個人的に一番好きなのは、こういうマイナーなものだったりします。
もちろん当たり外れはあるけれど、スタジアムで大盛り上がりするよりも、100人くらいしか入れない場所が揺れるくらい大盛り上がりするほうが楽しいと思ってしまうし、辺鄙な場所ですごいバンドを見たときの大コーフン、さらにそのバンドが大きくなっちゃったりしたときのなんか得したような気持ちに勝るものはない。
すべて大いなる自己満足ですが、みんなが知らない、でも素晴らしいモノと、どういうわけか自分が出会えた、というところが満足なのです。
そして、こういうマイナーなシーンのなかから、メジャーなものがでてくるわけで、マイナーな人たちがここに存在しなかったら、メジャーなものも存在しないのだ、マイナー万歳、などと酔った頭で考えていたわけです。

と、ものすごく話がそれたけど、ビートルズ一件を見ていて一番気になったのは、「ビートルズが有名である」ということが、「知っているべき」の論拠になってたこと。
「こんなにいいものがあるんだよ」じゃなくて。
「ビートル知らないなんてヤバい」と大人に言われて、ビートルズと出会ったところで、別に大した出会いじゃないし、私がそれを言われたとしてもきっと反感を持つと思う。大人に。
マイナーだろうと、メジャーだろうと、自分で見つけて自分で出会わないと意味ないって思うんですが。

2010年11月17日水曜日

東京らぶ☆

怒涛のような東京滞在からニューヨークにもどってきました。

今回の滞在は、営業日にして5日。
そんなに短いと誰にも会えないよ、というようなことを言ったら、お友達の山本憲資くんが「NE-NE NIGHT」というなんとも贅沢なイベントを企画してくれました。
場所はルバロン。
そしてDJ陣は、
☆Taku Takahashi(m-flo)
Keiichiro Shibuya(ATAK)
Masatoshi Uemura(bonjour record)
Yasuyuki Takaki
Kilimanjaro(Shino&Erika)
と、大好きなお友達のみなさんである。
長い間会えなかった昔の友達や、知らない方もたくさんきてくれて、久しぶりに朝まで遊びました。
知らない同士が仲良くなっているのを横目に見ながら、私はさっさか酔っ払ってしまい、翌日になってから、ああもっとあの人と話せばよかったとか後悔しきり。
みなさん、本当にありがとう。

東京という街は、私にとっては育った場所ではあるけれど、親の引越しが多かったから「故郷」と呼べる場所がないし、仕事をする場所になってしまったことから、今まで帰国のときにも故郷に「帰る」という気持ちはあまりなかった。
特に社会人生活を送ったことがないので、近年、どこか他人の街という気持ちで見るようになってきたと思う。
たまにしか帰らないのに、「ちぇ、変わりやがって」みたいな気持ちになったりしてね、勝手なもんです。

が、最近、自分と東京の関係がちょっぴり変わってきたような気がします。
帰る直前に「i am going home next week」と誰かに行ったら、へ?どこのこと?っていう反応が返ってきた。
それでニューヨークに10年以上いて、最近はほとんど「帰る」というフレーズを使ってなかったことに気がついた。
東京に「帰る」という言葉が素直に出てくるようになったのは、自分と同世代の友達が、それぞれ与えられたフィールドで、何かを変えようとがんばっているからだということに気が付いた。
帰ると、がんばらないと、って思わせてくれる。
そして帰ると喜んで迎えて、このネットワークを使えれば何かできるんじゃないかと思わせてくれる。
うれしいことである。

ところで今回の旅は、今インディでやろうとしているiPadマガジンの打ち合わせのためでした。
iPadが普及してないのにiPadマガジンなんて、という声も聞こえてきそうだけれど、自分のなかでは、できるからやる、という理屈です。
印刷や流通のコストをかけずにメディアを作れるようになったから。
景気が悪いとか、おもしろいことができないとか、文句言うだけの人間にはなりたくないし、だったら自分でなんかやれよ、ってことで。

だったら自分でやれよ、って思わせてくれたのも、東京でがんばっているお友達のみなさんである。
そして、ここまでもいろんな友達が手弁当で協力してくれているし、今回の旅でも、いろんな人たちが協力するよといってくれた。
というわけで、そんなお友達に恥ずかしくないようなモノを作りたいと思います。
私のことだから、とても偏ったものにはなってしまいそうだけれど。

というわけで、このエントリーは、忙しいなか、時間を作ってくれたお友達のみなさんにお礼のつもりで書いてみた。
また東京で!

2010年11月1日月曜日

住処の話。

たぶん7〜8年前のことだったと思うけれど、そんなに親しくなかった大学の同級生がNYに引越してきた。
マンハッタンの家賃が高いとこぼす彼女に、当時クイーンズに住んでいた私は「クイーンズ高くないよ」と言ったら、返ってきた答えは「私、アジア人のこと、怖いのね」。
お前もアジア人だろうにと呆れたが、自分がアジア人だということを棚に上げる人はたまにいるので、黙っておいた。
それから何年か経って、私がフリーになって行ったり来たりするのがだんだん辛くなってマンハッタンに引っ越したとき、彼女はクイーンズに引っ越そうとしていた。
「私、マンハッタンに住める人が信じられない」
そのときは、なんてプライドが高いイヤな女だと思ったが、最近、思い出して、なんか許せるなって急に思った。
人生にはいろんなフェイズがあって、そのときにあった住処があるなと思うから。
そんなことをつらつら考えているのは、自分もまた久しぶりに引っ越しをすることを決めたからである。

東京もそうだろうと思うけれど、ニューヨークのようなキャピタリズムのど真ん中に住んでいると、「どこに住むか」ということは、人のエゴと密接に関わりがあるなとつくづく思う。
「家、どこ?」という質問に対する答えをジャッジする人が多いのだということを、クイーンズに引っ越したときにつくづく思った。
当時は、稼ぎも悪かったし、駆け出しだった。
家賃も安いし、安全だし、便利だし、ご飯は美味しいし、自分の身の丈にぴったりだと思って選んだのだが、「家どこ?」と聞かれ、「クイーンズ」と答えたときの、あ、ジャッジされてんな、と思う感じはよく覚えている。
労働者と移民が住むところってイメージが強かったから。
「ブルックリンじゃないの?」
という反応もたまにあった。
ブルックリンは同じように安いけれど、ちょっとイケてるカルチャーがある。
一方、クイーンズはイケテない、みたいなね。
私個人的には、あんな人情味のある場所に住んだことはあとにも先にもないと思うし、きわめて幸せだった。
未だに思い出して、ああよかったな、なんて思うこともある。
最近では、クイーンズに住む日本人もぐっと増えたし、ちょっぴり高級感のある住宅街なんかも増えて、そういうことは少なくなってきたかもしれない。

と、余談が長くなったけれど、再び今引越しの準備をしているわけである。
ここ何年か住んでいたマンションもまた良いところだった。
毎日朝起きて、仕事をして、深夜に帰ってきて、ほっと一息つくとき、私は家に守られているのだ、とずっと思ってきた。
いろんな人がしょっちゅうふらっと遊びにきてくれたし、なんども女子飲みの宴会場になって、大量なアルコールが消費されてきた。
最近、わんこお断りのビルが多いなか、犬フレンドリーなビルだったのもよかった。
出張がものすごく多かったので、空港に行きやすかったし、どこに行くのもわりと便利だった。
いろんな意味で、自分のそのときのフェイズにあった住処だったと思う。

ここしばらく、ビルに囲まれた家に帰る、というライフスタイルがちょっくら息苦しいと感じることが増えてきた。
そろそろもうちょっとゆっくり呼吸ができる場所に住みたいな、と思ったり、口に出すようになってからはや1年。
景気もあまりよくないし、今仲間とデジタルマガジンを準備中なので、金銭的なリスクを減らしたいという気持ちもある。
何のために働くか、ということを改めて考えなおす時期だなと感じている、ということもある。
「便利な都会のど真ん中でせかせかがんばる」というフェイズが自分のなかで終わりつつあるような。
そんなことを考えながら、心のなかで昔の友達に「ビッチだなんて思ってごめん」と謝ってみたりしています。