2010年8月26日木曜日

今年の my サマーフェス

先週の木曜日から月曜日まで休みを決め込んで、プチ休暇をとってきました。
今回の休暇先はミシガン。
ミシガンというと、きっとピンと来ない人も多いだろうと思う。
なぜミシガンだったかというと、友達主催のサマーフェスティバルが行われたから。

去年の初夏、友達のカップル(彼はミュージシャンで、彼女はデザイナー)が、彼のふるさとであるミシガンに引越していった。
NYで生活することの金銭的プレッシャーと作りたいもののバランス、彼らの世界観や家族を築きたいという気持ちを考えると、まあ予想されたことではあった のだけれど、私のまわりのコミュニティでは存在感の大きかった2人がニューヨークを去ったときはかなりさびしかった。
2人はそれから1年の間に、ミシガンのファームで、畑を耕したり、創作したりしながら、そしてしっかり赤ちゃんを作ったりしながら、新しい生活を送っていて、私も彼らの新居をたびたび訪ねるようになった。

そんな2人から、夏の頭にインビテーションがきた。
ファームでフェスティバルをやるという。
その名も「Big Life Freedom Farm Fest」である。
フェスティバルの内容としては、音楽、アート、ヨガ、トーテンポール作り、スイミングなんてことがいろいろ書き連ねてある。
私としては祭りと名のつくものは好きだし、とりあえず楽しそうなので、わりと早い段階で参加することを決めた。
そうはいっても場所はミシガン(NYからは車で10時間強)、わざわざどれだけの人がやってくるか、ちょっぴり懐疑的、同時に友達として不安に思ったりしていた。

先週末、同じくNYからわざわざミシガンのお祭りに行こうという奇特な友達何人かとともに、フェスティバルの前夜にファームに到着した。
何度か訪れたことあるファームに、食事用のテントや簡易シャワー、トイレ、ステージなどが設置されているうえに、トーテムポール用の木が横たわっていたりする。
それも全部手作り。














前夜にやってきたのは開催者を含めて10人弱。
そのまま夜中になっても誰もやってこないじゃん、なんて不安に思ったのも一瞬のこと。
朝起きたら、新しいテントが増えていて、そのままあれよあれよというまに、どんどん人がやってきた。
その日の夜、バンドが演奏する頃には、駐車場がいっぱいになるくらいの大盛況。
遠くからやってきた人も、近隣からやってきた人も。
そこそこ有名な人も、無名の人も。
そして子どもからお年寄りまで。
初めてのフェスティバル、大成功である。

そして4日間これ以上ないとうくらいリラックスした。
朝起きてヨガやって、のんびり朝食を食べて、考え事をしたり、散歩をしたり、泳ぎにいったり、大雨のなかで火をおこす方法を教えてもらったり、男子が薪割 りするのを眺めたり(これ、相当アガった)、もちろん夜には相当レベルの高いジャムセッションを前に、焚き火のまわりでお酒を飲んだり。

フェスティバルが始まったときに、主催者のトムが
Nobody paid to get in
と声高らかに宣言したのが印象的だった。
実際のところ、参加者はアルコールを持ち寄ったくらいで、お金は一銭も払わなかった。
食材は畑からとれた野菜と、近所のオーガニック食材を作る会社からの寄付でまかなわれた。
彼らは決してお金もちではない。
それでも食事に対しても、労力についても、人に対する愛についてもまったくケチるところがまったくない。
彼らのおかげで、generousityという言葉の意味を改めて考える機会を与えられたような気がする。














そういえば、2年くらい前、彼がやっていた前のバンドが解散するときに、インタビューしたのだが、そのときに彼がファームをクリエーターたちが集まって創作できるレジデンシーにしたい、という夢を語っていた。
楽しそうだけど夢みたいだな、と冷静に考えたのを覚えている。
でも今回、彼らのフェスティバルが実現するのを目の当たりにして、最初は夢でも現実にできたら立派なビジョンだっていうことに気がついた。
彼らのすごいところは、何かをやろうと思ったときに、それが現実にできるかどうかとか、どれだけ大変か、というようなことで逡巡したりしないことである。

というわけで、せっかく生まれてきたのだから、そして一度しか生きられないのだから、やりたいことは全部やろうとしようとつくづく思った今年の夏休み。
そのためにはそろそろライフスタイルの調整を考えるときかもしれません。

2010年8月18日水曜日

映画「Restrepo」を見て考えたもろもろ

ちょっと前に「Restrepo」という映画をみてきた。
(このときにもブログ書こうと思ったのだが、怠慢で書かないまま時間が過ぎていた)
この映画を撮ったのは、ティム・ヘザーリントンとセバスチャン・ユンガー という2人組。
アフガニスタンのなかでもものすごく危険といわれる地域にある基地に暮らす兵士たちを追ったドキュメンタリーである。



セバスチャン・ユンガーは、ちょっと有名なジャーナリストで映画の原作にもなった「パーフェクト・ストーム」を書いた人。
ティム・ヘザーリントンは、ヴァニティ・フェアと契約しているフォトグラファー(本人は写真も映像も撮るのでこのレーベルをあまり好んでいないらしいのだが)で、これまで多くの紛争地域や戦地で暮らしてきた人。
私は友人の紹介で何年か前に知り合い、一度、この映画の製作中にインタビューしたこともある(このインタビューは、わけあって、まだどこにも出てないのですが)。
インタビューをしたときに、彼が言ったことでものすごく印象に残った言葉があった。
「戦争は悪い。
戦争は悪いけど、そこには極限的な状況だからこそ生まれる愛があったりする。
僕はそういう瞬間をとらえたい」

そうやって、それからしばらく経ってこの映画ができた。
そして今年の春サンダンス映画祭で審査員大賞ドキュメンタリー部門をとった。
今やっているプロジェクトにティムを誘いたかったこともあって、映画を見た直後にティムに会いってきた。

会って雑談をしていたら、ティムがこんなことを言う。
「右側から叩かれるのは想像してたけど、リベラルからもけっこう叩かれたよ。
戦争を悪として描いていていないからけしからんってね」
映画を見れば一目瞭然なのだが、この映画はアフガニスタンをめぐる政治論争とはまったく別の視点から撮られている。
そこにあるのは人間ドラマで、もちろん戦争がからんでいるわけだから、モラル論を退けることはできないけれど、特定の考え方を主張するために撮られた映画ではない。
それでもやっぱり叩かれちゃうんだなー。
「極端なリベラル主義者は、超タカ派の保守派と同じくらいクレージーだってことに気がついたよ」
納得である。
おかしいのは、ラッシュ・リンボウやグレン・ベックだけではないのですよ。

話はちょっと変わるが、先日、男友達とビールを飲んでいるときに、最近 The Atlantic に掲載されたある記事が話題にのぼった。
タイトルは「The Point of No Return」。
イランと核兵器とイスラエルとオバマ政権の話。
今、これを読むと、急にいろんな恐ろしい心配事が急に現実味を帯びてきて、ものすごく暗い気持ちになります。
ビールを飲みながら、いろいろと悪い事態のシナリオを話したりしていたときに、私が「そんなことになったら、もうすでいがっかりつくづくがっかりすると思う」
と言った。
そしたら男友達が、ちょっと意地悪な目をして、「そう?もうがっかりしてる?」と聞くでは「to some extent (ある程度は)」と答えると「何に?」というので
「医療改革とアフガニスタン」と答えたわけです。

ちなみにこの男友達は、圧倒的に白人の多い共和党支持基盤に育ち、しかも、自分の家族もそっちの方向だが、どういうわけか自分だけはそこに染まらず、パンクとチョムスキーから政治を学んで、実はアナーキストです、みたいなタイプである。

そしたら彼が言うではないですか。
「リベラルはさ、選挙のときにはグラスルーツで戸別訪問とかしてたけど、医療改革のためにもアフガニスタンのためにもほとんど動いてないよね〜。それじゃなんにも変わらないよね」

おっしゃるとおり。
選挙のときにあれだけ盛り上がったのに、ロックスターだった大統領がすっかり孤立したように見える今日この頃。
人間って勝手である。

「オレは、けっこうがんばってると思うけど、オバマ。最高裁の判事のメンツを見ろよ」
と友達。

もしかしたら、一番ダメなのは、選挙が終わったと同時に元の生活に戻っていった中途半端なオバマサポーターだったりして。
いや、きっとそうなんだろう。
って考えると、何かを動かしてるのは、ほんと一握りの、クレージーとすれすれの情熱のある人たちで、たとえば私なんかはその基地が今年の春に閉鎖されたことも「Restrepo」をみて初めて知ったくらいのダメっぷりである。
こういう人間が大多数だから、政治があるべき方向に進んでいかないんじゃないか!
というあまりに当たり前な事実に思い当ちゃった。
人任せにしても、何も動かない、ってことをもうちょっと考えないといけない気がしてきた。
これってきっと、ユニバーサルな政治が抱える問題なんではないでしょうか。

2010年8月15日日曜日

ガバナーズ・アイランドと夏の無料イベント

サマソニやら、フジロックやらみなさん盛り上がったようですね。
ニューヨークも、すっかりもう秋のような気候ではあるが、夏のイベントてんこもりです。
昨日の夜はガバナーズアイランドというマンハッタン沖の島で夏中やっている「ザ・ビーチ」というイベントに行ってきた。

この島は、歴史的にはいろんな用途に使われていたらしいのだが、90年代に沿岸警備隊が基地を閉鎖して以来、放置されていて、近年になってイベントスペースに使おうという気運が盛り上がり、03年くらいから夏になるといろんなイベントが行われている。

今年の夏はMIA が出てすでにけっこう話題になったし、ちょっと知ってるネオカントリーの若手(ジョニー・コーンドッグというかわいこちゃん)が前座で出たときに、行こうかなと思ったのだが、フェリーに乗らないといけないし、荷物検査とかもあるだろうし、長丁場になりそうだし、人ごみは嫌いだし、とずるずる行かないですませていた。
が、昨日はPrefuse 73本人が誘ってくれたので張り切って出かけることに。
というわけで、島に初上陸。

とはいっても、事前にフェリーの時間を調べたり、けっこうな大仕事だったりする。
サイトをみると、
We encourage everyone to come early and enjoy the beach.
と書いてある。
ふーん、ビーチなんだー。
と思って行ってみたら、島はこんな感じ。
人口の砂浜にネオンの椰子の木。
無理やり「ビーチ」って呼ばなくてもいいと思うんだが・・・

現場についてビールを買ったりしつつ、トイレに行ったりしていたら、Prefuse 73に遭遇した。
それから1時間近く、個人漫談みたいなおしゃべりで私たちをめっちゃ楽しませてくれた。

そして昨日のラインアップは、頭から
Miniature Tigers
Nite Jewel
DOM
Prefuse 73
Neon Indian

バンドはそれぞれカラーがあるのでひとくくりにするのは申し訳ないけれど、最初のほうのバンドをあえてひとくくりにすれば、最近流行ってるちょっとニューエイジの子どもみたいなオシャレな音楽って感じ。
すっごい盛り上がるでもなく、淡々とすすんでいくんだけど、最近の若者たちは体を揺らしつつゆるーく楽しむ、みたいな感じである。
プレヒュース本人が「(このラインアップに)ものすごく合わないと思うんだけど」とつぶやいている。
しかも、MIAのときにはかなり多数のお客さんが彼女のパフォーマンスの前に帰ってしまったという話があって、「無料のショーって、みんな帰っちゃんだよね」とか言っている。

しかし、昨晩はプレヒュースが登場する頃にはお客さんたちは帰っちゃうどころか、かなり大変なことになっていて、相当盛り上がってるのはいいけれど、何をとったか、もうすっかりあっちの世界に行ってしまい、しゃがみこんでる若者がかなり多いのは、地方のフェスと一緒である。
こういう場所の荷物検査ってほんと意味ないんですよね。

というわけで、楽しかった。
でもやっぱり大きいハコ(この場合は違うか)は苦手である。
人が多いし、閉じ込められている感があるし、好きなときに帰れないし。
フジロックやサマソニで盛り上がっているみなさんをいつもうらめしく思っていたのだが、行ったら行ったで苦手なのかもしれない。

それはさておき、昨日のイベントはチケットは無料(定員になった時点で締切り)。
フェリーも無料。
食べ物や飲み物は持ち込めないし、ちょっと高い(水が3ドル、ビール7ドル)けど、5時間くらいいて、20ドルも使わなかった。
スポンサーはコンバース。
こういうイベントが、同時多発的にいろんなところで行われているのです。
ニューヨークの醍醐味はこういうことなんだ、ってことを思い出してみた。

昨日遊びすぎたせいで、今日はやめてしまったセントラル・パークのパブリック・エネミー。
やめた理由は、こちらも無料なせいで早い時間から並ばないといけないと言われたからなのだが、よくよく考えるとものすごく贅沢である。
お金で買えない贅沢。
「並ぶ時間ないし」と言ってる自分が、ちょっぴり貧しく思えるから不思議である。