2010年3月13日土曜日

映画「The Cove」

バーチャル世界で交流させていただいている方の一人に、ニューヨーク在住のDyske Suematsuさんという方がいらっしゃる。
彼から、「The Cove」についてどう思う?
とのメールをいただいた。

見てないんですよ。
見てない理由は、1)忙しい、2)気が重い。

アメリカに住んでいる日本人なら、少なからず「気が重い」という気持ちはわかっていただけると思う。
とりあえず、捕鯨問題にかぎらず、日本の文化が問題になったりすると、どっちかのポジションをとらなきゃいけないような気になるし、見たら意見を言わなきゃいけなくなるじゃないですか。
ということで、私の腰は引けているのです。
(ちなみに、勉強しろよ、と言われるのを覚悟でいうが、なぜ捕鯨が大切で、どんな伝統的なバックグラウンドがあるのか、私の捕鯨問題についての知識はまったくお粗末である)

が、ダイスケさんが送ってくれたブログのポストは、捕鯨問題がわからなくてもわかる本質的なポイントをついていた。
ダイスケさんは、「The Cove」について、「自分のことを日本人とも、アメリカ人とも思っていない」という立場から、誠意のある姿勢でこの問題について語ろうとしている。
(ダイスケさんは、80年代からニューヨークにいて、英語で文章を書いている)

It was certainly painful for me to watch it.
Even though I don’t think of myself as Japanese (nor American), other people certainly do, so there is no escaping of the impact this film has on my identity and how people perceive me.

ダイスケさんは映画を作った側の人たちから、レビューしてくれという依頼を受けて、このブログを書いたらしいのだが、日本の立場もちゃんと代弁しつつ、映画のちょっと急進的と思われるやり方も批判しつつ、捕鯨問題の是非よりも、こういう文化的な衝突について、どう向き合えばいいのかを示唆しているような気がする。

私の目を一番ひいたのは、次の一文。
As I said in my post about whaling, when you let the situation escalate to the point of emotionally wounding one another, all you are doing is guaranteeing the conflict to last forever.
(感情的にお互いを傷つけあうところまで状況が悪化してしまうと、衝突が永遠に続くことを許すだけである)

ツイッターなどの言論を見ていても、この映画に対してかなり感情的なリアクションが目につく。
感情的に反応してしまうのは、攻撃されている、と思うから。
攻撃されたら、ディフェンシブになるのは、当たり前のことだし、(見てないながらに)映画の批判的なトーンを考えると妥当なことかもしれない。

こういう文化的な問題を、国対国というフレームで考えると、残される道は攻撃しあうだけになってしまいがち。
ダイスケさんが言うように、日本の捕鯨をやめさせることが目的だとしたら、この映画は最悪の戦略をとったということになる。

一連の騒ぎを見ていると、日本でも捕鯨が悪いっていっても、闘牛はどうなんだとか、あそこはネコを食べてるじゃんとか、そういう反応が多いような気がするのだが、それはそれでなんだか悲しい。
捕鯨がどういう理由で、どう文化的に重要で、それをどう外にアピールするべきかという本質的な議論がお留守になってしまうから。
非難されたときに、「お前に言われたくないよ」と言いたくなる気持ちはわかるのだけれど。

先日、話題にした「The End Of the Line」 が私に心に響いたのは、誰かを頭ごなしに否定したりジャッジしたりするのではなくて、「地球」として、どんどん魚が減っているという状況を前に何を考えるべきか、ということを説いていたからだと思う。
国同士で「お前だって、あれやってるだろ」とか言いあっている間に、地球はどんどん汚れ、動物はどんどん殺され、資源はどんどん少なくなっていくわけですから。
なんてことを、ダイスケさんのブログを読みながら、考えたのでした。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。