2011年1月2日日曜日

今年もよろしくお願いします。














明けましておめでとうございます。

毎年のことながら、あれよあれよという間に1年が終わり、新しい年が始まってしまった。
年末風邪をひいたので、寝込んでいる間に宴会の大半を逃し、29日から宴会に参戦。
でも気がついたらもう2日。
今さらながらに年賀メールを書いたり、大掃除をしたりしている始末である。
おまけに明日からもう仕事が始まってしまうじゃないか。
新年からつまづいた感満載である。

思えば2010年はいろんなことを考えた年であった。
メディアの役割と将来、自分のライターとしての存在意義、都会での暮らし、ライフスタイル・・・と、いろんなことをたくさんのお酒を飲みながら、頭が痛くなるくらい考えた。
考えた結果、とりあえずは週末を自然のなかで過ごすことに決め、さらにはなんとか引越しを敢行してついにマンハッタンを脱出した。
そして、インディのデジタルマガジンPeriscopeを立ち上げることに決め、ブレーンストーミングを始めた。
こう振り返ってみると、いろんな意味で変動の1年だったのかも。

昨日、友達にNew Year's resolutionはなんだとたずねられて、まだそこまで頭が追いついてない自分に唖然となった。
とっさに「全部スキャンする」と答えたら呆れられた。
せめて『身軽に生きる』にしようことになりました。
これがひとつ。

今日になって、2011年をどう生きたいか、ということを真剣に考えてみた。
年末からちょろちょろ「マヤカレンダー」とか「2012年滅亡説」が耳に入ってくる。
「この世の終わり」といえば、前回は2000年になる直前だった。
Y2Kでトリップアウトしまくったサイケなみなさんのお祭り騒ぎを思い出したらノスタルジーでちょっと胸がきゅんとなった。
それで思い出すのはLive like there is no tomorrowというフレーズである(liveが入ってる動詞の部分はparty, drinkなどにアレンジ可能)
「刹那的」「やけくそ」に近い感じでちょいとネガティブなニュアンスを感じるときが多いけれど、マヤカレンダーを真剣に受け止めるべきかどうかは別として、明日がやってこない可能性は誰にでもあることを考えたら、明日がこない可能性を念頭に生きることは悪いことじゃない。
今年はマヤカレンダーにあやかって明日がやってこなかったとしても後悔しない勢いでいこうと思います。
具体的には、よく遊び、よく働け、やりたいことは全部やってしまえ、ということである。
というわけで、みなさん、今年もよろしくお付き合いください。