邦題に対するつっこみはおいておいて、うーむとうなってしまう良い映画であった。
この映画について、ナオミ・ワッツにインタビューする機会に恵まれた。
映画についてのインタビューは、雑誌などに出たので割愛するが、ナオミは想像していたのとタイプの違う女性だった。
柔らかいのだが、芯の強いフェミニストタイプ。
たとえば男性をサポートするような役柄や、被害者の役柄をのぞいて、女優が演じることができる役柄がハリウッド映画において少なすぎるとぷんすか怒っていたり、「名前は言わないけど、女性をサポートする役柄はやらないという俳優さんって驚くほど多いのよ」と言ってみたり。
自分は母親になるという選択をしたけれど、「女性の多くは社会のプレッシャーを受けて、子供を持たないといけないという幻想に追い詰められる。女性だからといって母親にならなければならないというのはおかしい」という発言もあった。
そして、映画というものは、コミュニケーションの手段であって「映画を媒介に女性たちがいろんなことを考えられるチャンスになればいいと思う」。
今日、このブログの冒頭を書きながら、「良い映画だ」と思った理由はなんだろう、と自分の頭のなかを整理しようとしたのだが、インタビューの内容を頭のなかで辿るうちに思い出した。
この映画、どちらかといえば、暗くて辛いストーリーである。
Motherhood、母と娘の関係という大きなテーマがあって、そこにさらにティーンエージャーの妊娠とか、不妊症とか、養子縁組とかいろいろ複雑な問題が絡んでくる。
そういうことをなるべく先送りにしてきた30代後半女性としては、できれば避けて通りたいタイプの問題ばかりを取り扱っている。
それなのにこんな私をつかまえて「母親になりたいかどうか」という根本的な問題をとことん考えたほうがいいのではないか、と思わせてしまうパワーがあるのである。
ナオミがいう「コミュニケーションの道具」という役割をきちんと果たしている。
それ以外にも、アネット・べニングの天才的な演技とか、ナオミの童顔なのになんで?と思わせてしまう不思議なエロスとか、ほかにも見所は満載。
おすすめの秀作である。