2011年4月5日火曜日

東京滞在記

5日間といういつもより短い日程で東京に帰ってきました。
いいタイミングでいくつかのお仕事でお声をおかけいただいて、今なら帰れるかも、と数日前に決定し、慌ただしく出発した。
あとで気がついたのだが、震災を経て、やっぱり家族や友達の顔を見たかったのだと思う。

今回は、茂木健一郎氏、Save Japanのムラカミカイエ氏、Civic Forceの大西健丞氏氏、Just Giving の湯本優氏にインタビューさせていただいた。
海外に住んでいるのに、こういうタイミングで震災についてのインタビューにお声をおかけいただけるとはありがたいことである。

いつもよりちょっぴり暗い成田空港に到着し、その日の夜の打ち合わせを終えて、11時頃、いっぱい飲もうかとしたときに、いつも連れてってもらう深夜営業のお店が終わっていた。そして、あ、そういうことかと実感した。
でも翌日は、ご飯を食べようと思ったら、3軒続けて満席でまさかのディナー難民になりかけたし、金曜日に行ったairは驚くほど混んでいた。

airに行ったのは、☆タカハシタクさんのイベントがあったからだ。
タクさんがいて、自分のまわりに大切な友達がいて、わっさわっさと人がいるのを見て、一瞬急にセンチメンタルな気分になってしまった。
お祭りが中止になったとか、花見は自粛とか、そんな話をよく耳にする。
花見自粛の記事のなかで「被災地の人が辛い思いをしているときに楽しい思いをするのはどうも」というコメントを見た。
でも花見にしても、夜遊びにしても、別に単に「酒を飲んで遊ぶ」というだけじゃない。
友達の顔を見て、一緒にお酒を飲んで、不安な気持ちを共有したり、慰めあったり、安心したりするんだよ、とショットしながらセンチメンタルな気持ちで考えたのだった。
祭りの本質は遊びじゃないのだ。
都知事にしても、風営法にしがみつく人たちにしても、そのへんわかってないよなと思う。

夜の町は確かに節電でいつもよりちょっとだけ寂しく見えたけれど、クラブの人混みを見て、それから次の日の伊勢丹の込み具合を見て、東京は、少なくとも表面的には「日常」を取り戻しつつあるようにみえた。
でもなんとなく、遊びに行っていることとか、飲んでいることとか、言っちゃいけないような雰囲気があると思うのは気のせいか。
ツイッターをみていていも、飲んだ、食べた、遊びにいった、という話題は震災後減ったまま増えていないよね。

今回つくづく考えたこと。
日本人は忍耐強い。良くも悪くも。
今回いろんな人と会って、何人もの人が「被災したわけじゃないから」というのに気がついた。
確かに被災したわけじゃない。
しかし、大地震が起きて、日々余震に悩まされつつ、間引き運転の電車で仕事に通い、政府と東電はなんだがグタグタ感満載で、毎日テレビをつけるたびに原発の問題が前日と変わらない、またはさらに悪化している、という非日常を生きていてストレスがたまらないわけがない。
でも、被災したわけじゃない自分が、「日常」を生きることに罪悪感があるのである。

被災地のことはもとより、経済的な二次被害も深刻なことになりそうだ。
飲食にしても、アパレルにしても、3月の売上は大変だっただろう。
東北の工場が被災したことも、いろんな方面で影響が出ているらしい。
きっと他にもまだ目に見えない影響はあるんだろう。
引き続き、国内外からの義援金が集まり続けている。
でも海外での報道がすでに減り始めている今、義援金流入は減速するだろうし、復興にかかる費用を考えると、まだまだ足りないことは明らかである。
ということを、考えたり、会う人と話したりするうちに、自分のメンタリティがシフトした気がする。 
これまで自分は海外で起きていることを日本に紹介する人間として生きてきたわけだが、これからは日本のクリエイティブを海外に紹介することをもっと考えていこうって。
観光業は大打撃を受けているし、おまけに円高。
ずっと、日本の文化芸術の売り方は、まだまだ改善の余地があるなと他人ごととして思ってきたけれど、自分にも何かできるかもしれない。
というわけで、いろいろ考えています。