2011年10月2日日曜日

トロイ・デイビスともう一人の死刑囚

9月21日に、ジョージア州でトロイ・デイビスの死刑が執行された。
ヨーロッパ各国やローマ法王、カーター大統領やアムネスティ・インターナショナルや多くのセレブなど、いろんな方面から反対の声があがっていたこともあって、かなり注目度は高かったので、ご存知の人も多いと思う。
いろんなメディアがいろんな記事を書いていたけれど、バニティ・フェアが掲載していたトロイ・デイビスの写真には本当に涙がでた。

一応、知らない人のために書いておくと、トロイ・デイビスというのは、1989年にジョージア州のサバナという街で白人の男性警官を射殺した疑いで逮捕され、無実を訴え続けた黒人の男性である。
そもそもデイビスが犯人だということを裏付ける物証がないうえに、デイビスが有罪判決を受けた裁判で証言した目撃者の9人のうち7人が、証言の内容を撤回したり、変えたりしているうえ、かなり高い確立で真犯人だと思われる人物がいたりして、有罪判決の正当性自体を疑問視する声も多かった。
死刑はこれまで何度も延期されてきたし、再審を請求したり、減刑を嘆願するなどして、死刑を行わせない道を探ったみたいだけれど、結局デイビスは死刑にされてしまったわけです。

実は、デイビスの死刑が執行された同じ日に、テキサス州で別の死刑囚が執行されていた。
死刑になったのはローレンス・ラッセル・ブルーワー。
1998年に黒人の男性に、仲間の男性二人とともにリンチを加えて殺害した罪で死刑判決を受けた白人至上主義者である。
被害者の名前はジェームス・バードさん。
家まで送ってあげるふりをしてバードさんを車に乗せ誘拐し、殴る蹴るの暴行を加え、小便をひっかけたりやりたい放題やった挙句、バードさんの足首を車の後部にくくりつけ、3マイルも走ったうえに、ひきずられる間にあちこちにぶつかって体の部位が切断されたバードさんの遺体を捨てた、という事件である。
このあまりに凄惨な事件は当時大騒ぎになり、マシュー・シェパードくんの殺害事件とともに、ヘイトクライム法の制定のきっかけとなった。
(といっても、日本ではあんまり大きなニュースじゃなかったかもしれない)

ブルーワーも、21日に処刑された。
直前のインタビューで
As far as any regrets, no, I have no regrets.
I’d do it all over again, to tell you the truth.
という言葉を残して。

まだある。
テキサス州には、死刑囚が自分の「最後の食事」を選べるという伝統があったのだが、ブルーワーは
「チキン・フライド・ステーキ2切れとグレービー、玉ねぎのスライス、トリプル・ミート・ベーコン・チーズバーガー、ひき肉とトマト、玉ねぎ、ベル・ペッパーとハラペーニョのオムレツ、フライド・オクラとケチャップ、バーベキュー肉1ポンドとパン半斤、ファヒータ3切れ、ピザ、ブルー・ベル・アイスクリーム1パイント、厚切りのピーナッツバター・ファッジにつぶしたピーナッツをかけたもの、ルートビア3本」
という夕食をオーダーし、一口もつけることなく死刑台にのぼっていった。
そして、これを聞いて怒ったテキサス州上院議員のリクエストにより、テキサスの死刑囚は最後に好きなものを食べられるという80年以上続いた伝統は、あっさりと廃止されてしまった。

どこまでヒドいの、というくらいのjack assである。
死刑に使われる薬物注射を仲間への手紙のなかで「睡眠薬くらいのもんだ」と呼んだというブルーワーはこうやって、自分を罰しようとする社会に思い切り中指を立てて、死んでいったわけです。
ティモシー・マクベイのケースを思い出した。
こういう人間の前では、「死刑は究極の罰である」という考え方はまったく意味をなさないことになる。

ちなみにバードさんの遺族は、 Murder Victims' Families for Reconciliation(日本語では和解のための殺人事件被害者遺族の会と訳されることが多いようです)に参加していて、ブルーワーの死刑にも反対を表明してきた。
テレビに出ていたバードさんのお姉さん(妹さんかもしれない)は、ブルーワーのことを「裁判のときからずっと許してきた」と言っていた。
それでも、この週、死刑関連のニュースで主役だったのはトロイ・デイビスだった。
ブルーワーの死刑についてのカバレッジは、トロイ・デイビスのそれに比べてずっと少なかった。
メーリングリストなどに登録しているさまざまな人権団体からは、トロイ・デイビスについてのメールはたくさんきたけれど、ブルーワーやバードさんの遺族についてのメールは一通もこなかった。
理由はわかる。
ブルーワーのケースは、死刑廃止運動という観点からいうと材料として弱いし、こいつのことを話題にするだけで本人のおもうつぼに陥る気もする。
でも、なんかそこに現行の死刑廃止運動の限界を感じたのでした。

私が死刑に反対な理由はシステム上の欠陥や公平性の欠如によるところが多いし、どうしようもないモンスターを「許してあげましょう」思える境地にはほど遠い。
が、家族の一員が白人至上主義者の手によって凄惨なリンチをうけたうえに殺された、そんなことを経験したうえで、「許した」という境地に至ったバードさんの遺族の言っていることこそ、耳を傾けるべきなのではないか。
9月のある日の夜、被害者の遺族の意志とはまったく関係ないところで、「合法な」手続きを踏んで行われた処刑2件をみて、そんなことを考えていたのでした。